mao1938’s diary

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国鉄の『分割・民営化』(抜粋)

 2年くらい前?の学習会資料(「国鉄の『分割・民営化』」)からの抜粋。ダメな点をあげるときりがないので、学んでいきたい(いる)点を列挙すると、(1)日本労働運動史にしめる鉄道労働者運動の位置。労働・社会運動史関係の本で言及されていた、日本近代における「最先端」だった鉄道労働者の強い「国家への奉仕」意識だとか最近だと映画「寅さん」シリーズを観ていて、いわゆる「マドンナ」と結ばれる「勤勉」な人が鉄道機関士であったことも興味深い。(2)現在のJR体制。とくに、いわゆる「駅ナカ駅チカ」ビジネスとジェントリフィケーションの関係。昔どこかで読んだ駅構内?からの野宿者排除に抗する、座り込んで職員らと対峙するレポートを最近思い出した(たぶん1990年代の文章で3~4年前に読み、今探している)。(3)国鉄「分割民営化」の過程をより詳細に調べる。労働者・労働組合の様々な立場から学ぶ。(4)鉄道に関する知識全般。労使関係も含む諸国との比較。(5)「新自由主義」について。かなりいい加減に使ってきたので反省している。

 

 

国鉄の「分割・民営化」(抜粋)

1.はじめに

・・・(かなり省略)・・・ 

 本文では主に、1980年代に国家主導ですすめられた「国鉄分割・民営化」について考察する。そして「国鉄分割・民営化」を分析することで、広く「新自由主義」が言及される現代社会の政治経済ならびに、「職場における労働そのものとなかま相互の関係のあり方」(熊沢誠)への有効な視点が得られることを示唆したい。読みづらく、論点が拡散しているのは全面的に執筆者の責任であり・・・(省略)・・・この手の問題に興味をもつ人の意見がもらえたら、また新たに関心を持つ人が1人でも増えたら、幸いである。

2.「国鉄分割・民営化」はいかにして進められたか
(1)国家主導の推進

 「国鉄分割・民営化」は国家が主導となって推進された。以下、その過程の概略を述べる(主に杉田[1983]、鎌倉[1986] 参照)。「国鉄分割・民営化」がはじめて公式に提議されたのは、1982年、「増税なき財政再建」をかかげた、総理大臣諮問機関である第二次臨時行政調査会においてである。そこでの答申を受けて政府は「国鉄改革」を強調し緊急対策とともに行政改革大綱、国鉄非常事態宣言を発表する。そして具体的検討・実施は1983 年発足の国鉄再建監理委員会に任されることになり、その答申を受けて政府は分割・民営化を閣議決定する。この過程において諮問機関に利害関係者が関わっていること、そのような「私的」機関に基づく国家の決定が十分な国民の合意を調達せずに急速に国家主導で推進したことを中心に批判が相次ぎ、多くの抵抗もあったが結果として1987年4月1日、現在のJR体制へ分割・民営化がなされた。
(2)財政問題と公社制度
 国鉄分割・民営化の積極的推進の過程では理由として当初から国鉄の「財政危機」とその原因としての「経営の自主性がない」「公社制度」、が中心に言及され、財政問題は「破産した」ことが前提とされた。国鉄再建監理委員会による「分割・民営」こそ「国鉄事業を再生させ得る唯一の方策であり、かつ、国民の負担を最小限のものとする最善の方策」を提言する答申(1985年7月)にそれは典型的である。この答申では23 兆円以上の借金残高、1兆円以上の毎年度赤字を指摘し「民間会社なら既に破産した状態となっている」と展開する(国鉄再建監理委員会答申は鎌倉[同]より、以下同じ)。この答申に対し経済学者の鎌倉孝夫は「「借金の残高」に対し、資産がどれだけなのかを明示しなければならないはずである。ところが、再建監理委も、国鉄当局も、政府も、国鉄の資産総額をまったく明らかにしない。しかも、借金高を時価で評価する以上、資産額も当然時価で示すべきであるのに、これを明らかにしない。」(鎌倉[同]p.19-20)と批判している。また保有地(※1)を中心として国鉄の総資産は有形資産のみならず、 システム技術・通信網などの無形資産も適正に評価すると資産総額にして時価およそ200兆円であり、「財政危機」を口実とすることはむしろ「優良企業」に対する「偽装倒産」であると複数の論者が指摘している(鎌倉[同]、鎌田[2017]参照)
 さらに答申を含めてさかんに言及される「財政問題」があるとしてそれがなぜ発生し、「分割・民営化」(公社制度の廃止)によって解決されるのかが不明確なことが多くの論者に指摘されている(鎌倉[同]、杉田[同]他)。 杉田明によれば1970年代から減価償却費を上回る赤字になる国鉄の赤字には輸送量の停滞を背景とする「純粋の営業損益」と利子や人件費による「営業外支出」が多くを占める。前者は高度経済成長期を中心に他交通輸送手段との競争に敗れた結果である。そして後者における利子は、国鉄が実質独立採算制(1953年の日本国有鉄道会計規定改正による)であるにもかかわらず、高度経済成長期を中心として政策により野放図に路線が拡大した結果であり(※2)、人件費上昇は第二次大戦以後、大量に雇用された労働者の退職期が訪れた結果である。(以上杉田 [同]p.162-182 による)。また日本の国鉄は当時の海外(イギリス・西ドイツ・フランス)の国有鉄道と比較しても労働生産性が高く、人件費が安かったことも明らかとされている(鎌倉[同]p.149-161)。
 つまり国鉄における「財政問題」があるとすれば、赤字は政府の干渉による政治的失敗の累積が国鉄の通常業務から離れた場所で発生・膨張したものである。これは公共の福祉の増進が目的であった公社制度と政策の関係として考察する必要があり、再建監理委員会が展開するような資本の論理が貫徹する分割・民営化の積極的理由とされる「公社制度」自体に内在する問題とは別である。そして現在「経営の自主性」に基づく「民間並み」の現JR 体制 の下で、人員削減・労働強化が進められた結果として福知山線脱線事故(2005年)をはじめとする事故やレール等 設備保安の不十分性がもたらされ、市民生活の安全を脅かしていると相次いで指摘されていることに注目する必要がある(国鉄闘争全国運動[2017])。
(3)分割・民営化と労使・政治関係
 国鉄分割・民営化を推進した当時の総理大臣・中曽根康弘はこれまでに「国労が崩壊すれば、総評も崩壊することを明確に意識してやった」という趣旨の発言を複数述べている(山口[2017])。このような特定の労働組合の「崩壊」を意図したとする発言には、国鉄分割・民営化を特定個人の行為と即断することはできないが、「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根内閣が推進した分割・民営化が日本社会に与えた大きい影響を示唆している。まず、現場の労使関係について述べる。第二次臨時行政調査会基本答申(1982年7月)では国鉄の新形態移行 までの緊急措置として職場規律を強調し、これを受けた政府は「職場規律の確立」を含めた緊急対策を出す。また先述した国鉄再建監理委員会答申は「国鉄事業の再生」に公社制度では不可能な理由の1つとして「不正常な労使関係」をあげている。このような状況で国鉄当局並びにマスコミによる「不正常な労使関係」を「正す」圧力が現場に加えられることになる。先駆として1968年以来存在した「現場協議に関する協定」をめぐって、争議権が制限 されている国鉄労働者にとって不十分ながら団体交渉的機能をもつ部分が無くなり、それに合意ができなければ協定自体再締結しないという通告が国鉄当局によってなされた。さらに就業時間に占める入浴時間や労働組合掲示板の問題などといった、長年の慣行から職場によって多様に形成されてきた現場での労使の合意事項が取り消されるという事態が相次ぐことになる。そして当時の中曽根首相が自民党セミナー講演でこうした状況を「ジャーナリズムがこれほど真剣に支援してくれたこと」は日露戦争の「明治以来ない」と表したように、マスコミが積極的に「国鉄国賊」キャンペーンを推進し、労使関係の「正常化」が進められていく(以上杉田[同]p.13-71 による)。
 次に国鉄と日本全体の労使関係、政治関係について述べる。テーラーシステムが大規模に導入されることによって、労働の単純化、職場集団の崩壊(「職場における労働そのものとなかま相互の関係のあり方」を大きく規定する)、その一方で能力主義的競争を通した労働者の企業への統合・従属がすすみ、「生産性向上運動」もそれを「労働者の自発性」を調達しつつ推進する動力となった(熊沢[1993])。そのような動きに対して、第二次大戦後以来、日本労働運動の中核を占めてきた国鉄労働運動は、1970年代の、とりわけ民間部門ではかなり進んでいた生産性向上運動に国鉄労働組合国労)、国鉄動力車労働組合動労)を中心に対決し(反マル生運動)、職場における労働側並びに労働組合ナショナルセンター(総評)に占める国鉄労働運動の位置が強化された。このような時代状況で国鉄労働運動は、職場における労働側の力量を防衛・発展し、戦後革新運動、地域住民運動反戦平和運動に強く取り組むことが特徴とされる「日本型社会民主主義」をつよく支えることになる(岸本[1966]、清水[1961]、渡辺[1990])。また高度経済成長期以後の、企業内における人事考課(査定)制度が深くかかわる年功賃金・内部昇進制、そして企業外=産業レベルにおける労働者の競争規制の不徹底という特徴(木下[2007])をもつ“日本的労使関係”を一つの規定因として労働者・市民の生活が企業本位の方向にひきずられている「企業社会」超克の強い志向をもち「日本型社会民主主義」勢力と重なるものからよりラディカルな潮流まで含む戦闘的労働運動、とくに民間企業内少数派労働組合は一つの企業内におさまらない活動が成果をあげるにも重要な位置を占めており、総評、とりわけ地区労を通して国鉄労働運動とも支え合っていた(※3)と言える(大庭[2012]、河西[1990])。分割・民営化過程における「緊急措置」で国鉄職員と市町村議員の兼職禁止が定められるが、該当した377人のうち2人を除いて社会党共産党系議員であったことはそれを顕著に示す(杉田[同]p.42)。また分割・民営化の過程・結果では民間移行にあたって同時期に民営化された電電公社・専売公社と違い、全員解雇したうえでの指名採用という形式がとられ、「余剰人員」の整理による職員全体の減少並びに強く反対した国労の組合員が 1981年から1984年の間に約24万人から約4万4千人へと減少し総評の弱体化につながったことは直接的にも間接的にも「政治的」圧力・選別が働いたことを示す。この問題は被解雇労働者の救済申し立てに対し各地 の地方労働委員会中央労働委員会で「不当労働行為」認定がなされたのち使用者責任を否定するJR 側と長期争議(2010年に一部は和解)となっている(萩尾[2017])。以上より国鉄分割・民営化のなかで労働者の側の労使関係における力・政治的力が量的のみならず質的にも日本全体規模で減退したこと、それが職場秩序のあり方と密接であることが考えられる。

 3.「新自由主義」との関連
 現代社会を把握するうえで、「新自由主義」という概念が多くの論者によって使用されている。例えば、地理学者のハーヴェイは「新自由主義とは何よりも、強力な私的所有権、自由市場、自由貿易を特徴とする制度的枠組みの範囲内で 個々人の企業活動の自由とその能力とが無制限に発揮されることによって人類の富と権利が最も増大すると主張する政治経済的実践の理論である」(ハーヴェイ[2007]p.10)と述べる。しかし論者によってその概念は異なっている。それは「新自由主義」というものが、政治的範疇あるいは経済的範疇なのか、または特定のイデオロギー・政策ならばそれは何を構成要素としているのか、それとも社会構造の状況であるかといった問題がでてくる(新田[2001])。このように多くの見解が存在するが、現状の世界認識に対する一定の共通した理解の傾向がみられる。それは(1) 資本の論理がより多くの領域へ拡張していること、(2)拡張過程には国家が強く関与すること、(3)資本の運動を制約してきた労働側の力が崩される傾向、(4)ニクション・ショックや石油危機を契機とした1970年代以後の先進資本主義国を中心とする低成長への対応策が「新自由主義」と関係して大きな位置づけを与えられていることである。そして日本の文脈においては、欧米諸国と対比して<開発主義>的傾向をもち世界市場の動向に一定の独立性をもち、労使関係において資本の運動が初めから強く貫徹していたこと(※4)が1970年代の低成長を他国と比較して有利に乗り切ることにつながったこと、その後1980年代、世界的動向に徐々に対応していった、とする指摘がある(中野[2015]、藤田[2017]、渡辺[1990])。その中でもとくに政治学者の中野晃一が経済的自由を核とする新自由主義と政治的反自由を核とする国家主義の結合としての「日本の新右派連合」勢力推進を導いた中曽根内閣が現実的には国家主義を抑制しつつ、国際協調主義の大枠におさまったと述べていることは多くの示唆を与えている。

4.終わりに
 以上、1980年代に国主導で強力に推進され、公共の福祉としての領域が資本の論理に処理され、日本全体の労使関係に影響を与えた日本の国鉄分割・民営化は世界的な状況における日本独自の出来事であり、また「職場における労働そのものとなかま相互の関係のあり方」をはじめとして、法律だけの問題に還元できない職場の秩序を労働者がどのように維持するのかが争点となることが強く推測される。このように考えると社会運動が「未来の「予言者」」(樋口[2004])としての性質をもつならば、国鉄分割・民営化に対抗した人々の主張は今なお参考になる。これらをより深く考察することによって「新自由主義」が広く言及される(※5)現代社会の政治経済過程を明晰に把握する手掛かりとなるし、私たちの現在の労働のあり方をとらえ直す示唆も与えられるのではないか。


1. 共同通信社日本テレビ電通などもある超高層ビル群の場所に汐留貨物駅があったことが有名である。
2. 1957~1968 年の岸・池田・佐藤内閣の下での長期経営計画、続いて佐藤内閣の下の財政再建計画、田中内閣 の下での新財政再建計画などは、その時々の経済成長を楽観視し続ける政策への従属と指摘されている(鎌倉 [1986]p.118-148)。また「我田引鉄」という通俗的表現があることを想起する必要がある。
3.河西[1990]の電産中国地方本部の事例研究において、「能力的に優れた活動家」の、「企業内昇進ルート」とは別の地方議員になるなどといった「企業外昇進ルート」が言及されているのは興味深い。
4. 丸山眞男大塚久雄、あるいはかつてのコミンテルン32年テーゼの系譜をもつ理論ならば日本社会の特性を「前近代性」や「封建制」にもとめる傾向もあるが、逆に欧米諸国と比較した労使関係の考察において日本は「前近代的」なギルド的・家族的紐帯が弱いと把握される(森田[1997])。「日本的労使関係」との関連でいえば、労働者は企業内でも企業外でも競争にさらされる極めてアトム的個人である。

 

 

参考文献
大庭伸介(2012)『レフト 左翼労働運動の総括と展望』自費出版
鎌倉孝夫(1986)『「国鉄改革」を撃つ』緑風出版
鎌田慧(2017)「国有財産に群がった「黒い人脈」」『週刊金曜日』2017年4月14日号、22-23ページ
河西宏祐(1990)『新版 少数派労働組合運動論』日本評論社
岸本健一(1966)『日本型社会民主主義現代思潮社
木下武男(2007)『格差社会にいどむユニオン 21世紀労働運動原論』花伝社
熊沢誠(1993)『新編 民主主義は工場の門前で立ちすくむ』社会思想社
国鉄闘争全国運動(2017)『労働運動の変革をめざして』出版最前線
国鉄闘争を継承する会(2013)『国鉄闘争の成果と教訓』スペース伽耶
清水晋三(1961)『日本の社会民主主義岩波書店
杉田明(1983)『臨調国鉄攻撃と労働者階級』国鉄問題研究会
中野晃一(2015)『右傾化する日本政治』岩波書店
新田滋(2001)『超資本主義の現在』御茶の水書房 
萩尾健太(2017)「それでも不当労働行為の事実は消えない」『週刊金曜日』2017年4月14日号、24-25ページ
ハーヴェイ・デビッド(2007)『新自由主義渡辺治他訳、作品社
樋口直人(2004)「未来の「予言者」としての社会運動」、大畑裕嗣他編『社会運動の社会学有斐閣、15-30ページ
藤田実(2016)「戦後日本の再生産構造」、渡辺治他著『戦後70 年の日本資本主義』新日本出版社、55-75ページ
森田成也(1997)『資本主義と性差別 ジェンダー的公正をめざして』青木書店
山口正紀(2017)「労働者・組合攻撃に加担し煽動したマスメディア」『週刊金曜日』2017年4月14 日号、26-27ページ 
渡辺治(1990)『「豊かな社会」日本の構造』労働旬報社