mao1938’s diary

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メモ・日本帝国主義と在日朝鮮人運動

☆田川和夫『戦後日本革命運動史Ⅰ』(現代思潮社、1970年)より

〇「敗戦と同時に危機に瀕した日本帝国主義にたいする最初の大衆的反撃」

「四五年十月七日、北海道の夕張と常磐の両炭鉱で、朝鮮人労働者がストライキにたち上がった。そしてさらに、九州の三池炭鉱と栃木県の足尾銅山とでは中国人捕虜が決起した。それは、敗戦と同時に危機に瀕した日本帝国主義にたいする最初の大衆的反撃であり、支配階級の眼には、まさしく「暴動」とさえ映った。」p.24

山の労組運動史などでも労組組織化の端緒として言及されるようであり今後目を通していきたい。

〇「戦後革命期」と在日朝鮮人運動

2・1ストー3月闘争(独占へのバラマキによる日本資本主義の再建への道、官公労働者には石炭価格から割り出したベース賃金=搾取強化を押し付け民間へも云々、そうしたなか、それに対決する志向もつ全逓の賃金闘争からの拡大)-日経連発足、経営権確立反動ー政令二〇一号(人民は対抗するも「全国的な統一実力行使による反撃」p.269には出れず・・・)というなかで・・・在日朝鮮人への騒乱罪攻撃もあった。

朝鮮人学校の再編は、国内法に朝鮮人をしたがわせ、独自の民族教育を抑圧するための最大の攻撃であり、帝国主義が戦後革命からだしゅつし、帝国主義の延命をはかるために、植民地支配体制の再編を意図することとらうちだされてきたものなのであった。それ故、朝鮮人学校問題をめぐる激突は、日本革命自身にとっても決定的な分水嶺をなすものだったと同時に、帝国主義のアジア支配のための最重点対策をなし、一九五〇年の朝鮮戦争の前提条件もまた構築するものだったといえよう。」p.281

「日本革命運動と在日朝鮮人運動の本質的関係が、そしてまた日本共産党のなかで朝鮮人運動がどのように位置づけられていたかのかがあらためて問われるべきであろう」p.288

「第十一章 在日朝鮮人運動と騒乱罪」p.278~306に詳しい。1946年の「長崎警察署襲撃事件」部分印象に残った。勉強になる。あとさらぎ徳二インタビュー「革命に生きる」

http://0a2b3c.sakura.ne.jp/saragi-a.pdf

での九州地方での闘い言及を思い出した。今後は梶村秀樹をもっと読んでいきたい。