mao1938’s diary

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『反安保の論理と行動』(樺俊雄・小山弘健編)

『反安保の論理と行動』(樺俊雄・小山弘健編/有信堂/1969)メモ・感想

構成は
一章総論(樺俊雄)、二章安保体制と日本国家の構造(柴田高好)、三章安保条約の問題点と七〇年安保体制、四章七〇年安保と沖縄問題(ともに辻橋滋)、五章反安保統一戦線の諸問題(小山弘健)、六章街頭闘争の思想的背景(久坂文夫)、七章七〇年闘争と反戦青年委員会(橋井宣二)、八章反安保の運動と思想にかんする基本文献、最後に条約・公文などの資料。

一~四章が「安保条約・体制」への批判的考察中心、五~七章が60年代後半の実践に注目した考察。

〇一~四章では(すべての文で明確にあてはまるわけではないが)
(A)単なる2国間の条約であるのみならず、アジア-世界的な「体制」問題
(B)日米支配層(独占資本)の推進があり、それとの対決が前面にでていること
(C)アメリカへの従属面と日本の帝国主義としての積極面の二重性に注目していること、つまりは戦争に国民が「まきこまれる」ことと「加担」(ベトナム戦争、さらに中国や朝鮮半島を背景に)することを指摘
(D)沖縄問題への注目
が印象的であった。どの文も簡潔で読みやすく、全体的には「長期戦」意識のうえでの七〇年闘争というふうに読んだ(国独資論評価や新左翼の「危機」「決戦」論の問題)。憲法9条への評価に関しては、柴田高好が軍事面と民族面で戦後日本国家を「半国家」規定したうえで、9条と安保の相補性強調(そしてプロレタリア国際主義へ)。他は、単純に表現できない問題があるんだけれども菅孝行の表現借りれば安保と9条の関係を<にもかかわらず>か<であるがゆえに>なら<にもかかわらず>傾向かな。<であるがゆえに>でも9条擁護は可能ではあり、ただちにどちらの選択がどうこうとはいえない面もある(私は基本<であるがゆえに>で把握しているけど、これを選択して俗流反米主義吹き上げたり、天皇賛美している人たちいるのでもっと丁寧な把握したいと思う)。

はじめて知って、興味もったのはは地位協定三条二項で電気通信用電子装置云々で雑電波防ぐために「電波障害制限区域」設定してあれこれ制限かけること(三章)。

〇五章から七章はやはり60年代の青年運動、とくに反戦青年委員会の登場とその背景、どういう陣形で闘っていくかが前面。多かれ少なかれいづれも戦後日本の高度経済成長を構成する既成革新の限界を超えるものとして肯定的、また「職場生産点」での弱さ指摘(反戦の「地区」か「職場」か問題、街頭のラディカルさだけではそれも圧力の単なる道具におしこめられてしまう危惧なども前者との関係にて)。私の関心が最近このあたりなのでいろいろ勉強になった(そして整理はできていない...)。以下いくつか。

①小山弘健は「統一戦線」問題(諸党派の「戦線統一」と諸人民の「統一戦線」ふくむ)に言及していて、この問題浮上の背景に、
「学生・青年労働者・行動的市民などが今日の高度管理社会の主要な再生産の場をそれぞれに分担させられ不可分の社会的構成要素として「存在として」統一化されているからである。いわゆるホワイトカラーとブルーカラーの従来の区別の基準が抹消され、ぼう大な高校生と浪人学生をバックに一五〇万大学生が基幹的技能労働者の直接的供給源として登場し、一方で主として現役労働者が市民資格において市民運動のイニシアをとりだすような状況において、それらは当然高度国家独占資本主義体制下の「広義労働者」の概念で律せられなければならない」(p159-160)と。また高度工業社会の大学生層を広義の労働者階級の一構成要素、体制変革の一つの主体とも。
一章の樺論文もホワイト/ブルーの区別されるものでは、なくなってきているとは述べるが、こちらは合理化→労働強化に苦しむ層の増大、と量的視点重視(実践面も労働者を中心とした国民各層の闘争、と)だが小山論文は再生産の視点ふくめて質的転換意識しているなと思った。後のアウトノミア-「社会的労働者」意識する人には生産/再生産区別も「抹消」する人もいるので、60年代の人民諸階層と構改から新左翼までの階級言説(何を説明しようとしたか)や海外理論の関係、日本での受容、そして現代的意義・有効性は問うべきだろう。あと小山論文にかぎらず「女性」がでてこないのがそれなりの状況を感じさせる。

いづれの論者も「職場生産点」軽視しているわけではない。
学生運動反戦青年委員会を軸とした高揚が社会構造に原因がありその表現ととらえ、その積極面(ゆえに固有の弱さもある)をさらに推進することを主張、と考えられる。
「民同自体が自己の政治的代弁者として左派社会党を選び、国家独占資本主義体制が強化されていくなかで、ますます政治にかかわるところが多くなった労組の利害を反映する機関として左派社会党を利用した関係だったのである。だから民同労働運動においては、「政治」はあくまで組合機関を通じる行動によってしか表現されなかった」七章p240。
それから重層的問題が噴出するなかで革新が主張する守るべき「平和と民主主義」が抑圧的、二重帰属性破壊云々。

また久坂論文の中での滝村隆一による<アナルコ・サンジカリズム>批判(「現代革命とサンジカリズム」)への応答(藤本進治も引用される)、
「一般にその指導理念がアナルコ・サンジカリズムであるということと、思想状況が全般的にみてアナルコ・サンジカリズム的傾向にあるということは、明確に区別しておかねばならない」p185、「自然発生性」の構造もその論点と深く関連。
5月革命に言及しつつサンジカリズム論に内在しているのは国際性・同時代性を強く意識しているのが伝わる。
レーニンとローザの比較は単純に勉強になった。

反戦派」の軌跡は現代・現状分析も意識して学んでいきたい。

 

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