mao1938’s diary

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国鉄の『分割・民営化』(抜粋)

 2年くらい前?の学習会資料(「国鉄の『分割・民営化』」)からの抜粋。ダメな点をあげるときりがないので、学んでいきたい(いる)点を列挙すると、(1)日本労働運動史にしめる鉄道労働者運動の位置。労働・社会運動史関係の本で言及されていた、日本近代における「最先端」だった鉄道労働者の強い「国家への奉仕」意識だとか最近だと映画「寅さん」シリーズを観ていて、いわゆる「マドンナ」と結ばれる「勤勉」な人が鉄道機関士であったことも興味深い。(2)現在のJR体制。とくに、いわゆる「駅ナカ駅チカ」ビジネスとジェントリフィケーションの関係。昔どこかで読んだ駅構内?からの野宿者排除に抗する、座り込んで職員らと対峙するレポートを最近思い出した(たぶん1990年代の文章で3~4年前に読み、今探している)。(3)国鉄「分割民営化」の過程をより詳細に調べる。労働者・労働組合の様々な立場から学ぶ。(4)鉄道に関する知識全般。労使関係も含む諸国との比較。(5)「新自由主義」について。かなりいい加減に使ってきたので反省している。

 

 

国鉄の「分割・民営化」(抜粋)

1.はじめに

・・・(かなり省略)・・・ 

 本文では主に、1980年代に国家主導ですすめられた「国鉄分割・民営化」について考察する。そして「国鉄分割・民営化」を分析することで、広く「新自由主義」が言及される現代社会の政治経済ならびに、「職場における労働そのものとなかま相互の関係のあり方」(熊沢誠)への有効な視点が得られることを示唆したい。読みづらく、論点が拡散しているのは全面的に執筆者の責任であり・・・(省略)・・・この手の問題に興味をもつ人の意見がもらえたら、また新たに関心を持つ人が1人でも増えたら、幸いである。

2.「国鉄分割・民営化」はいかにして進められたか
(1)国家主導の推進

 「国鉄分割・民営化」は国家が主導となって推進された。以下、その過程の概略を述べる(主に杉田[1983]、鎌倉[1986] 参照)。「国鉄分割・民営化」がはじめて公式に提議されたのは、1982年、「増税なき財政再建」をかかげた、総理大臣諮問機関である第二次臨時行政調査会においてである。そこでの答申を受けて政府は「国鉄改革」を強調し緊急対策とともに行政改革大綱、国鉄非常事態宣言を発表する。そして具体的検討・実施は1983 年発足の国鉄再建監理委員会に任されることになり、その答申を受けて政府は分割・民営化を閣議決定する。この過程において諮問機関に利害関係者が関わっていること、そのような「私的」機関に基づく国家の決定が十分な国民の合意を調達せずに急速に国家主導で推進したことを中心に批判が相次ぎ、多くの抵抗もあったが結果として1987年4月1日、現在のJR体制へ分割・民営化がなされた。
(2)財政問題と公社制度
 国鉄分割・民営化の積極的推進の過程では理由として当初から国鉄の「財政危機」とその原因としての「経営の自主性がない」「公社制度」、が中心に言及され、財政問題は「破産した」ことが前提とされた。国鉄再建監理委員会による「分割・民営」こそ「国鉄事業を再生させ得る唯一の方策であり、かつ、国民の負担を最小限のものとする最善の方策」を提言する答申(1985年7月)にそれは典型的である。この答申では23 兆円以上の借金残高、1兆円以上の毎年度赤字を指摘し「民間会社なら既に破産した状態となっている」と展開する(国鉄再建監理委員会答申は鎌倉[同]より、以下同じ)。この答申に対し経済学者の鎌倉孝夫は「「借金の残高」に対し、資産がどれだけなのかを明示しなければならないはずである。ところが、再建監理委も、国鉄当局も、政府も、国鉄の資産総額をまったく明らかにしない。しかも、借金高を時価で評価する以上、資産額も当然時価で示すべきであるのに、これを明らかにしない。」(鎌倉[同]p.19-20)と批判している。また保有地(※1)を中心として国鉄の総資産は有形資産のみならず、 システム技術・通信網などの無形資産も適正に評価すると資産総額にして時価およそ200兆円であり、「財政危機」を口実とすることはむしろ「優良企業」に対する「偽装倒産」であると複数の論者が指摘している(鎌倉[同]、鎌田[2017]参照)
 さらに答申を含めてさかんに言及される「財政問題」があるとしてそれがなぜ発生し、「分割・民営化」(公社制度の廃止)によって解決されるのかが不明確なことが多くの論者に指摘されている(鎌倉[同]、杉田[同]他)。 杉田明によれば1970年代から減価償却費を上回る赤字になる国鉄の赤字には輸送量の停滞を背景とする「純粋の営業損益」と利子や人件費による「営業外支出」が多くを占める。前者は高度経済成長期を中心に他交通輸送手段との競争に敗れた結果である。そして後者における利子は、国鉄が実質独立採算制(1953年の日本国有鉄道会計規定改正による)であるにもかかわらず、高度経済成長期を中心として政策により野放図に路線が拡大した結果であり(※2)、人件費上昇は第二次大戦以後、大量に雇用された労働者の退職期が訪れた結果である。(以上杉田 [同]p.162-182 による)。また日本の国鉄は当時の海外(イギリス・西ドイツ・フランス)の国有鉄道と比較しても労働生産性が高く、人件費が安かったことも明らかとされている(鎌倉[同]p.149-161)。
 つまり国鉄における「財政問題」があるとすれば、赤字は政府の干渉による政治的失敗の累積が国鉄の通常業務から離れた場所で発生・膨張したものである。これは公共の福祉の増進が目的であった公社制度と政策の関係として考察する必要があり、再建監理委員会が展開するような資本の論理が貫徹する分割・民営化の積極的理由とされる「公社制度」自体に内在する問題とは別である。そして現在「経営の自主性」に基づく「民間並み」の現JR 体制 の下で、人員削減・労働強化が進められた結果として福知山線脱線事故(2005年)をはじめとする事故やレール等 設備保安の不十分性がもたらされ、市民生活の安全を脅かしていると相次いで指摘されていることに注目する必要がある(国鉄闘争全国運動[2017])。
(3)分割・民営化と労使・政治関係
 国鉄分割・民営化を推進した当時の総理大臣・中曽根康弘はこれまでに「国労が崩壊すれば、総評も崩壊することを明確に意識してやった」という趣旨の発言を複数述べている(山口[2017])。このような特定の労働組合の「崩壊」を意図したとする発言には、国鉄分割・民営化を特定個人の行為と即断することはできないが、「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根内閣が推進した分割・民営化が日本社会に与えた大きい影響を示唆している。まず、現場の労使関係について述べる。第二次臨時行政調査会基本答申(1982年7月)では国鉄の新形態移行 までの緊急措置として職場規律を強調し、これを受けた政府は「職場規律の確立」を含めた緊急対策を出す。また先述した国鉄再建監理委員会答申は「国鉄事業の再生」に公社制度では不可能な理由の1つとして「不正常な労使関係」をあげている。このような状況で国鉄当局並びにマスコミによる「不正常な労使関係」を「正す」圧力が現場に加えられることになる。先駆として1968年以来存在した「現場協議に関する協定」をめぐって、争議権が制限 されている国鉄労働者にとって不十分ながら団体交渉的機能をもつ部分が無くなり、それに合意ができなければ協定自体再締結しないという通告が国鉄当局によってなされた。さらに就業時間に占める入浴時間や労働組合掲示板の問題などといった、長年の慣行から職場によって多様に形成されてきた現場での労使の合意事項が取り消されるという事態が相次ぐことになる。そして当時の中曽根首相が自民党セミナー講演でこうした状況を「ジャーナリズムがこれほど真剣に支援してくれたこと」は日露戦争の「明治以来ない」と表したように、マスコミが積極的に「国鉄国賊」キャンペーンを推進し、労使関係の「正常化」が進められていく(以上杉田[同]p.13-71 による)。
 次に国鉄と日本全体の労使関係、政治関係について述べる。テーラーシステムが大規模に導入されることによって、労働の単純化、職場集団の崩壊(「職場における労働そのものとなかま相互の関係のあり方」を大きく規定する)、その一方で能力主義的競争を通した労働者の企業への統合・従属がすすみ、「生産性向上運動」もそれを「労働者の自発性」を調達しつつ推進する動力となった(熊沢[1993])。そのような動きに対して、第二次大戦後以来、日本労働運動の中核を占めてきた国鉄労働運動は、1970年代の、とりわけ民間部門ではかなり進んでいた生産性向上運動に国鉄労働組合国労)、国鉄動力車労働組合動労)を中心に対決し(反マル生運動)、職場における労働側並びに労働組合ナショナルセンター(総評)に占める国鉄労働運動の位置が強化された。このような時代状況で国鉄労働運動は、職場における労働側の力量を防衛・発展し、戦後革新運動、地域住民運動反戦平和運動に強く取り組むことが特徴とされる「日本型社会民主主義」をつよく支えることになる(岸本[1966]、清水[1961]、渡辺[1990])。また高度経済成長期以後の、企業内における人事考課(査定)制度が深くかかわる年功賃金・内部昇進制、そして企業外=産業レベルにおける労働者の競争規制の不徹底という特徴(木下[2007])をもつ“日本的労使関係”を一つの規定因として労働者・市民の生活が企業本位の方向にひきずられている「企業社会」超克の強い志向をもち「日本型社会民主主義」勢力と重なるものからよりラディカルな潮流まで含む戦闘的労働運動、とくに民間企業内少数派労働組合は一つの企業内におさまらない活動が成果をあげるにも重要な位置を占めており、総評、とりわけ地区労を通して国鉄労働運動とも支え合っていた(※3)と言える(大庭[2012]、河西[1990])。分割・民営化過程における「緊急措置」で国鉄職員と市町村議員の兼職禁止が定められるが、該当した377人のうち2人を除いて社会党共産党系議員であったことはそれを顕著に示す(杉田[同]p.42)。また分割・民営化の過程・結果では民間移行にあたって同時期に民営化された電電公社・専売公社と違い、全員解雇したうえでの指名採用という形式がとられ、「余剰人員」の整理による職員全体の減少並びに強く反対した国労の組合員が 1981年から1984年の間に約24万人から約4万4千人へと減少し総評の弱体化につながったことは直接的にも間接的にも「政治的」圧力・選別が働いたことを示す。この問題は被解雇労働者の救済申し立てに対し各地 の地方労働委員会中央労働委員会で「不当労働行為」認定がなされたのち使用者責任を否定するJR 側と長期争議(2010年に一部は和解)となっている(萩尾[2017])。以上より国鉄分割・民営化のなかで労働者の側の労使関係における力・政治的力が量的のみならず質的にも日本全体規模で減退したこと、それが職場秩序のあり方と密接であることが考えられる。

 3.「新自由主義」との関連
 現代社会を把握するうえで、「新自由主義」という概念が多くの論者によって使用されている。例えば、地理学者のハーヴェイは「新自由主義とは何よりも、強力な私的所有権、自由市場、自由貿易を特徴とする制度的枠組みの範囲内で 個々人の企業活動の自由とその能力とが無制限に発揮されることによって人類の富と権利が最も増大すると主張する政治経済的実践の理論である」(ハーヴェイ[2007]p.10)と述べる。しかし論者によってその概念は異なっている。それは「新自由主義」というものが、政治的範疇あるいは経済的範疇なのか、または特定のイデオロギー・政策ならばそれは何を構成要素としているのか、それとも社会構造の状況であるかといった問題がでてくる(新田[2001])。このように多くの見解が存在するが、現状の世界認識に対する一定の共通した理解の傾向がみられる。それは(1) 資本の論理がより多くの領域へ拡張していること、(2)拡張過程には国家が強く関与すること、(3)資本の運動を制約してきた労働側の力が崩される傾向、(4)ニクション・ショックや石油危機を契機とした1970年代以後の先進資本主義国を中心とする低成長への対応策が「新自由主義」と関係して大きな位置づけを与えられていることである。そして日本の文脈においては、欧米諸国と対比して<開発主義>的傾向をもち世界市場の動向に一定の独立性をもち、労使関係において資本の運動が初めから強く貫徹していたこと(※4)が1970年代の低成長を他国と比較して有利に乗り切ることにつながったこと、その後1980年代、世界的動向に徐々に対応していった、とする指摘がある(中野[2015]、藤田[2017]、渡辺[1990])。その中でもとくに政治学者の中野晃一が経済的自由を核とする新自由主義と政治的反自由を核とする国家主義の結合としての「日本の新右派連合」勢力推進を導いた中曽根内閣が現実的には国家主義を抑制しつつ、国際協調主義の大枠におさまったと述べていることは多くの示唆を与えている。

4.終わりに
 以上、1980年代に国主導で強力に推進され、公共の福祉としての領域が資本の論理に処理され、日本全体の労使関係に影響を与えた日本の国鉄分割・民営化は世界的な状況における日本独自の出来事であり、また「職場における労働そのものとなかま相互の関係のあり方」をはじめとして、法律だけの問題に還元できない職場の秩序を労働者がどのように維持するのかが争点となることが強く推測される。このように考えると社会運動が「未来の「予言者」」(樋口[2004])としての性質をもつならば、国鉄分割・民営化に対抗した人々の主張は今なお参考になる。これらをより深く考察することによって「新自由主義」が広く言及される(※5)現代社会の政治経済過程を明晰に把握する手掛かりとなるし、私たちの現在の労働のあり方をとらえ直す示唆も与えられるのではないか。


1. 共同通信社日本テレビ電通などもある超高層ビル群の場所に汐留貨物駅があったことが有名である。
2. 1957~1968 年の岸・池田・佐藤内閣の下での長期経営計画、続いて佐藤内閣の下の財政再建計画、田中内閣 の下での新財政再建計画などは、その時々の経済成長を楽観視し続ける政策への従属と指摘されている(鎌倉 [1986]p.118-148)。また「我田引鉄」という通俗的表現があることを想起する必要がある。
3.河西[1990]の電産中国地方本部の事例研究において、「能力的に優れた活動家」の、「企業内昇進ルート」とは別の地方議員になるなどといった「企業外昇進ルート」が言及されているのは興味深い。
4. 丸山眞男大塚久雄、あるいはかつてのコミンテルン32年テーゼの系譜をもつ理論ならば日本社会の特性を「前近代性」や「封建制」にもとめる傾向もあるが、逆に欧米諸国と比較した労使関係の考察において日本は「前近代的」なギルド的・家族的紐帯が弱いと把握される(森田[1997])。「日本的労使関係」との関連でいえば、労働者は企業内でも企業外でも競争にさらされる極めてアトム的個人である。

 

 

参考文献
大庭伸介(2012)『レフト 左翼労働運動の総括と展望』自費出版
鎌倉孝夫(1986)『「国鉄改革」を撃つ』緑風出版
鎌田慧(2017)「国有財産に群がった「黒い人脈」」『週刊金曜日』2017年4月14日号、22-23ページ
河西宏祐(1990)『新版 少数派労働組合運動論』日本評論社
岸本健一(1966)『日本型社会民主主義現代思潮社
木下武男(2007)『格差社会にいどむユニオン 21世紀労働運動原論』花伝社
熊沢誠(1993)『新編 民主主義は工場の門前で立ちすくむ』社会思想社
国鉄闘争全国運動(2017)『労働運動の変革をめざして』出版最前線
国鉄闘争を継承する会(2013)『国鉄闘争の成果と教訓』スペース伽耶
清水晋三(1961)『日本の社会民主主義岩波書店
杉田明(1983)『臨調国鉄攻撃と労働者階級』国鉄問題研究会
中野晃一(2015)『右傾化する日本政治』岩波書店
新田滋(2001)『超資本主義の現在』御茶の水書房 
萩尾健太(2017)「それでも不当労働行為の事実は消えない」『週刊金曜日』2017年4月14日号、24-25ページ
ハーヴェイ・デビッド(2007)『新自由主義渡辺治他訳、作品社
樋口直人(2004)「未来の「予言者」としての社会運動」、大畑裕嗣他編『社会運動の社会学有斐閣、15-30ページ
藤田実(2016)「戦後日本の再生産構造」、渡辺治他著『戦後70 年の日本資本主義』新日本出版社、55-75ページ
森田成也(1997)『資本主義と性差別 ジェンダー的公正をめざして』青木書店
山口正紀(2017)「労働者・組合攻撃に加担し煽動したマスメディア」『週刊金曜日』2017年4月14 日号、26-27ページ 
渡辺治(1990)『「豊かな社会」日本の構造』労働旬報社

 

 

学費・奨学金・学生運動についてのノート(抜粋)

 少し前に大学問題の学習会をやったときの資料から抜粋(3章構成のうちの第2章)する。雑すぎる、というのが今ふりかえった感想(何が雑かもまとめたい)。私はいくつかの論点の担当者で、栗原康の『学生に賃金を』完全版と『国際労働運動』誌(今年8月号で休刊)の大学改革批判特集に大雑把な論理を依拠して2日間くらいで急づくりした(もう懐かしい)。この学習会をやることが決まった時点はいわゆる「コロナ情勢」前で、全国的に「学費減額運動」が登場する状況はもちろん想像できなかった。またその運動の動きもあまり追うことはできていなかった(いない)が、現実の様々な諸問題を反映しており、非常に重要だと思う。私としては今後①学生運動史の基礎、②私学の歴史に焦点をあててみたい。

 

2.大学・学費・学生自治         
(1)学生をめぐる状況
Ⓐ高い学費について
 簡単に変遷を振り返ると1970年から2015年で大卒初任給は5・4倍、消費者物価指数は3・17倍であるのに対して、授業料は国立大44・65倍、私立大文系で9・76倍、私立大理系(医歯系のぞく)で11・16倍である(下記図表参照、図表は国際労働運動研究会[2019]p.36-37より)。※図表は省略
 論者によって多少は統計方法などの違いがあるものの、物価上昇率をかなり上回る速度で大学の学費、とくに国立大学の学費が1970年代後半以降に上昇を続けていること、国立大と私大で相互規定的に上昇をしていることが基本的に指摘されている(他に久保[2019]、栗原[2020]参照)。そしてOECD加盟国において、高等教育に対する公的支出の対GDP比が平均以下であること(つまり政府が金を出していないこと)、その表現として高等教育に対する私的負担割合が非常に高いことなども重要だ。そして高ければいかなければよいという問題ではなく、「大卒」資格が現実の賃金に響く。このあたりはFREE等ふくむ諸団体がずっと主張してきたことだろう。

 そのような現状は資本の要請、階級闘争学生運動の独自の動きなどの具体的展開によって規定されたのだが、さしあたりは全世界的な68年革命の構成要素たる60-70年代学生運動の高揚とそれに対する反動という視角で考えてみる。まず、60年代学生運動高揚の一因として大学の大衆化があった。1960年から1970年の10年において短大も含む日本の国公私立学生数は71万人から167万人と2倍に、進学率は10・3%から23・6%へと上昇した。とりわけ私立大学学生数は174%増であった。先進資本主義国では共通にこのような「大学の大衆化」時代が多少のズレを伴いながらも到来したのだが、ヨーロッパ諸国が国公立大学の漸進的拡充を行ったのに対して日本は私立大学の急速な設置基準緩和という道に進む。背景として指摘される(萩原[1977b])のが資本が高度経済成長期以後に中高級技術職、事務・管理能力をもつ労働者をもとめ、大学にそうした労働力商品の再生産過程の役割をもとめていくようになったことだ。具体的起動因としては「国民所得倍増計画」実現を目的として産業界に適合した技術職へすすむ理工系学生への政府の要望、また私立大学側は文理問わずベビーブーム世代の受験生を獲得し経営安定を図ろうとしたことであった。こうした状況で学生の「量」に対応できず、効率性や管理強化を志向する大学運営や教育の「質」に学生の不満が高まり60年代半ば以降の日韓基本条約反対闘争の高揚と連動しつつ学費学館闘争が爆発した。急速に拡大する設備投資やマスプロ教育のなかで学生に負担が押し付けられたことへの反発といえる。蔵田[1981]によれば、この時期の代表的事例として慶大、明大の他に自主講座を行った中大闘争(後のバリスト→自主講座として大学闘争の基本パターンとなる)、「産学協同路線粉砕」を掲げた早大闘争(今では「産学協同」は学生へのアピールになっていることに注意)、不正入学など大学の腐敗を批判する高崎経済大学闘争などがあった。そこからさらに1967年の10.8羽田闘争をはじめとする街頭実力闘争の思想、ベトナム革命戦争をはじめとした第三世界革命運動の高揚への連帯、フォーディズムに対抗する高度資本主義国の青年労働者運動、<国民>や<労働力>に還元されえない<身分的なもの※1>の叛乱-マイノリティ運動、文化運動等と相互に影響を与え合って、個別大学の枠を超えた権力闘争へと学生運動は飛躍していった(蔵田[1978]、マルクス主義学生同盟・中核派[2018]他)。
 以上のような大衆反乱に対して、日本帝国主義企業別組合(労働者の自発性調達し、異分子排除へ)・地域社会の反動的組織化(反「過激派」キャンペーン、地域住民運動の体制内取り込み)・暴力装置で構成される、高度経済成長期に成熟した支配的ヘゲモニーをもって対抗した(坂本・渡辺[1974])。それと一体でいわゆる「四六答申」(後述)に示される政府の大学政策転換もあった。
 文部省の答申に対し中央教育審議会は1971年に(よって「四六答申」)答申を出す。そこでは戦後教育の理念である機会均等の見直しをせまり、「量」をふまえた「質」への言及をなし、また「受益者負担」(教育は一種の自己投資であるからとして)原則が打ち出された。つまり、大学へいっそうの市場原理導入をはからせ、「よいサービス」享受のために学生には多くの金をださせて競わせ、大学側にも「よいサービス」を供給できるようにより設備や人材に金をかけ競争させるようするというのである。これが学生運動への応答=反動であった。同時に学費の基準も指定されそれにより値上げは進み、教育の商品化も進んでいく(以上Ⓐは特筆ないかぎり栗原[同]に依った)。「1965年から1970年ごろまでは、学生運動が激しかった。・・・・・・値上げ反対をスローガンにキャンパスを占拠する全学バリケード封鎖が日常風景になり、大学当局も学費を値上げするには相当な覚悟が必要だった。ところが学生運動が沈静化すると、国公私立を問わず大学には授業料の物価スライド制などが持ち込まれ、どんどん学費が上がった。不景気で物価が横ばいでも、学費を上げる大学が続出」(木村[2018])した、というように学生運動が値上げを抑制してきたことをここでは確認しておきたい(その反動として値上げがあったこととともに)。
 80年代以降は現在も進行中である「大学改革」-①資本家が大学経営に関する意志決定を行う「経営協議会」の多数を占めブルジョアジーが「教育の私物化」を行う、②法人化後に国から大学へ支給する「運営費交付金」を年率1%逓減し、残りの収入源である学費、競争的資金=科学研究費補助金集めにしわよせがいき、より「国策」に適合しようとする状況、③以上①②からしブルジョアジーの利益にならないもの=学生自治(会・寮・サークルからその他社会活動まで)や教授会自治の破壊と貧困の強制(“実学重視”や不安定雇用教員の問題なども忘れてはならない)などを特質とする国立大学法人化を頂点とするーへとつながるものが遂行されてきた。学問・教育の商品化はさらにすすみ、それに伴う学費値上げ(例えば法人化以後、文部省令で標準額が定められている国立大学学費は一定の幅で引き上げ可能となり、いっそう国公立私立大のイタチごっこ的学費値上げが行われている)が続いている(マルクス主義学生同盟・中核派[2017])。

Ⓑ高い学費と一体の奨学金
 Ⓐで述べた高い学費と一体のものとして奨学金がある。そもそも日本における奨学金は大部分が貸与型で将来的に全額返済が求められる「教育ローン」としてあり、それはいわゆる「国際社会」の常識的な奨学金(返済義務のない支給金)ではないにもかかわらず実質公的制度として運用されていると指摘されている。そして学費高騰と親の収入減等により若者の返済能力は乏しくなる一方で、JASSOの(日本学生支援機構)の取り立ては苛烈となり、2007年に支援機構が設置した金融業界関係者が多数参加する「有識者会議」では①法的措置の徹底、②民間の債権回収業者への業務委託、③返還滞納者のブラックリスト化(金融機関への情報提供)を提言、それは実行されている。
 このような奨学金の「貸金業者」化も学費問題と同様に、現実の階級闘争の反映がある。JASSOへと組織改編される前の日本育英会はまた不十分ながらも無利子であり教育の機会均等の理念があったが、70年代末以降(学費高騰が進む時期である)に、銀行業界は教育ローンへ参入し “育英会は教育ローン市場の自由を妨げている”として圧力をかけ、それは1983年の第二次臨時行政調査会答申での①奨学金の有利子化、②返還免除制度廃止の支持に結実し、のちに実行される。さらに小泉政権時に「行政改革」の一環として「日本育英会の見直し」をかかげ、2004年には独立行政法人化がされた(Ⓑの以上は栗原[同]他)。要はブルジョアジーによる教育の私物化、学生―労働者からの収奪が進んだのである。
 とくに現在の「奨学金」制度への道筋を本格的につけたのが「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根康弘政権(1982~1987)下の第二臨調であることには注目する必要がある。国際的にはニクソンショックや石油危機、国内的には労働運動の資本の力制約進行を契機とした先進資本主義国の低成長時代の危機をブルジョアジーの側から乗り越えんとするイデオロギー新自由主義と規定すれば、第二臨調をつらぬくイデオロギーはまさにそれであった。「新自由主義」政策の貫徹は日本の場合、特殊事情として欧米諸国と比較して<開発主義>的傾向があり世界市場の動向に一定の独立性をもち、労使関係において資本の運動が初めから強く貫徹していたことから1970年代の低成長を他国と比較して有利に乗り切ることにつながったものの、その後1980年代に世界的動向に徐々に対応していったことが指摘されている。この第二臨調路線下、戦後労働運動解体攻撃=国鉄分割・民営化が強行、また教育審議会では本格的実行はやや遅れるが教育の民営化がつよく打ち出された(臨調関係については中野[2015]、藤田[2017]、渡辺[1990]他)。
 また前述したような金融業界の要請と現在の「奨学金」制度が密接であるように、「新自由主義イデオロギー」と一体のものとして金融経済(負債経済)の拡大も背景にあり、国や民間企業がリターンを求めて投資しているJASSOは厳しい取り立てをすることによって高い回収率を「優良投資先」アピールに利用している現実がある。製糸工場における数々の女工の悲惨なエピソードを典型とした、親が子どもを工場へ送り込む事実上の人身売買としての前借金の慣行を禁止する目的であった労働基準法第17条「使用者は、前借金その他労働することを条件とする前貸の債権と賃金を相殺してはならない」の意義を抹殺する効果を現在の「奨学金」制度はもっているのではないか(今野[2017])。「負債」自体はこれまでの歴史上において人間関係に多様な形態で存在したが、現代の「奨学金」ビジネスには、資本家による収奪を露骨に支える国家権力=暴力団があるのみである(国家が社会福祉の削減や公共機能を縮小し、本質=暴力を顕在化させている)。そもそも資本主義以前には領主と農民のように人格的な支配隷属関係が搾取を行うことを基礎として、その領主の人格(個人的な生命や財産や尊厳)維持を国家権力は目的としていた。つまり支配階級と国家権力は直接に一致していたのである。一方、資本主義社会もやはり生産手段の私的所有に基づく労働の支配隷属関係を基軸とするところの階級社会ではあり、人による人の支配の一形式であるのだが、それは“自由”で“平等”な人格による商品交換という独自の形式によって隠蔽される。そのような資本主義社会においては支配者と国家権力は人格的に一致しない(市民社会と国家の分離)。そして階級社会における「搾取する自由」を保障する憲法を守ることにより、超階級的な位置にあるかのようにみえるかたちで資本主義国家は成立している。そして現在の「奨学金」ビジネスには建前の“自由や平等”さえもかなぐりすてられた債務奴隷として収奪される存在が現れているといえないか(国家論については白井[2007]他)。

Ⓒ学生の「労働者」化、労働者の状況
 多くの学生が「小遣い稼ぎ」ではない「生活のため」に働くなかで、企業側も「基幹労働力」とみなしている(今野[2020])。労働者をとりまく状況については省略する。

  

<補足・二重の意味で労働者であることについて>
「 実際のところ、大学生は二重の意味で労働者である。
  第一に、教育費と教育期間を食いつなぐための生活費を稼がねばならない。本分の研究とはまったく関係なく、無駄な賃労働に従事し、消耗を強いられる。
  第二に、教育という商品が、商品という体裁を保つための不可欠な要素として、大学生は大学生であらねばならない。
  第二の労働には、単に授業に出席するという水準から、そこで語られた内容を覚えること、明るく穏便に振る舞うこと、大学自治の体裁のために忙しく活動することまでが含まれる。大学生たちの活動と創意と忍耐がなければ、大学生は存在し得ないし、大学は大学でなくなってしまうだろう。」(矢部[2006]p.114)。

 

 以上Ⓐ~Ⓒで出てきた論点をいくつかにまとめると、①日本の大学教育は国公立私立の授業料が高く、まともな奨学金がない状況である。それは②さしあたり高度経済成長期以後に資本の要請にこたえる際に国家が民間重視の姿勢をとり、③教育の商品化を推し進めて受益者負担を定着させたためである。また④学生や労働者のそれに対抗する運動の敗北も一因としてある(そのような意味でも政治や労働の現場の問題と一体である)。
 教育の商品化は「労働者の階層秩序編成が旧来の身分制に変わって教育によってなされることを意味していたというにとどまらず、翻って教育内容自身、労働者諸層に要求する技術・知識の習得を一義的にするものとして編成されていく事を不可避とした」(萩原[1977a]p.13)と振り返ることができるだろう。そして今の多くの学生にとって高等教育は、「投資」であり、学生-労働者は自分自身に、自分の子供に「投資」をする「資本家」となったといえる(植村[2019])。それらを踏まえると、資本主義社会において学問・教育が商品化されている現状を把握したうえで本来どうあるべきかという問題意識を欠如させて、一般論的に「授業の質」や「高い授業料」を問題にするのは限界がある。資本・政府・大学は例えばその「質」を市場にゆだねてすでに「解決」しているからである。多少の「消費者の声」は聞くだろうが基本的には提供された教育サービスに不満があるなら、別の商品を選べばよいという話になる(“学費が高いことは承知で入学したはずだ”というやつである)。また学生が“投資家”であり個人事業主であるならば、政府や大学からの少々の“支援”はあっても基本リスクは自分で引き受けるべきだと言うことになる。
 私たちはそもそもすべての人々が知識に自由にアクセスできる社会をめざすべきだ。

Ⓓ「権利」の無い状況
 ほとんどの大学ではビラ撒きや立て看板、学内集会さえろくにできない状況である。そして学生運動、政治運動関係者が学内に入ってビラ配り等していただけで「建造物侵入」によって逮捕される現状だ(もちろん旅行会社のしつこいサークル棟まわりなどは逮捕されない)。これまでに126人逮捕、34人起訴、13人処分という状態をもたらした法政大学では、大学のあり方に異をとなえる学生の「表現活動の自由」(日本国憲法第21条)たる入試期間中街宣を金もうけのための私的権利としての「営業権の侵害」でもって禁圧している。またコロナ情勢下において全国的に盛り上がった”学費減額運動”のよびかけ文などではわざわざ“自分たちに大学を批判する意図はない”、“誹謗中傷をする意図はない”などといった表現を過剰にみかけた。これ自体が今の学生の立場の「弱さ」を示していないか。フランス革命、パリコミューン、ロシア革命から文化大革命、1968年革命まで大量のビラやパンフがだされ、言葉をもたなかった人々が声をあげた意義を考えると、社会的意義をもつ研究教育機関であるからこそ「ビラへの権利」も、学生が集まりをもち討論することも無条件に認められるべきである。日大闘争の提起は決して終わっていないのである。
 
(2)学生自治について
Ⓐ何に対する「自治」か
 一般に学生自治会は学生生活の維持向上のためにあるといわれている。それは間違いないものであり、大学の構成員として、学生が自らを組織して・見解を集約し・意見を述べ・行動することは大切である。
 そのうえで何に対する「自治」なのか、そこを模索していく必要がある。学生自治会は大学の戦争協力への痛苦な反省に基づいた戦犯教授追放など戦後民主主義を実質化するために成立した面があるように、学問を国家権力や天皇イデオロギー、戦争から守るという意味における「自治」を色濃くもっていた。また日本とはまた違うものがあるが中世の大学において学内に監獄があったような「二重権力」性を思い出してもよいだろう。真理探究の行為はときの国家権力やそれと癒着したイデオロギーや宗教とするどい緊張関係をもってきた。「学問の自由」というスローガンは、学問の研究・教育を中世的な教権的・王権的支配から解放することを意味していたのであり、このように時代や場所によって「自治」の意味は異なるのである(本多[1980]の「Ⅴ 大学闘争論」他)。
 (1)を振り返ると、今の大学は資本と国家によって商品化されていること、大学当局も基本的にそれに追従していることが問題であり、「自治」というときこの動きに抗することが求められている。「私は学生の本分は学生運動だとかんがえています。学生運動といえば、デモや集会をやったりビラを配ったりすることが浮かぶかもしれませんが、それはほんの一部でしかありません。学生運動でもっとも大切なことは学問をすることだと私はかんがえています。資本と国家のしもべではなく、実際に苦難を負っている人びとのための科学、医学、技術を学び、打ち立てること、そのために、現在の専門家による御用学問を批判することです。経済学ではなく経済学批判を、デザイン教育ではなくデザイン教育批判をやることです。」(前田[2011])という精神が大切だ。コロナ情勢下でも注目を集めた “金にならない”研究分野の軽視の問題や軍事研究の問題とともに考えていかなければならない。

Ⓑ学生自治破壊攻撃・歴史と総括
・・・(省略)・・・デモやストライキ、団交、など団結して主張・行動することが社会においてあまり見えてこなかったため、今の学生には「不満」を表現する手段も見つけるのが難しい状況である。そして前述したように狭義の学問を行うという行為も、その他自主的活動も困難である。これまでにどのようなことがなされてきたのかを学び受け継ぐことで「継承性の欠落」(大庭[1980])を克服しなければならない。

※この部分Ⓑはろくに書けていない

 

 


1.友常[2012]のとくに「はじめに」と第三章「芦原病院小史ー同和行政総括のための試論」を参照。当然この領域にも「反動」は訪れた。

 

 

 

参考文献(簡略に表記)

植村邦彦(2019)『隠された奴隷制集英社
大庭伸介(1980)『浜松・日本楽器争議の研究』五月社
木村誠(2018)『大学大崩壊 リストラされる国立大、見捨てられる私立大』朝日新聞出版
久保哲朗(2019)「「令和の大学生」の懐事情が明らかに苦しい理由」
栗原康(2020)『奨学金なんかこわくない! 『学生に賃金を』完全版』新評論
蔵田計成(1978)『新左翼運動全史』流動出版
    (1981)「学費学館闘争」、現代革命運動事典編集委員会編『現代革命運動事典』流動出版、51ページ
国際労働運動研究会(2019)「「大学改革」を全面的に暴く」『国際労働運動』vol.50、出版最前線、22-45ページ
今野晴貴(2017)『ブラック奨学金文藝春秋
    (2020)「20万円の給付でも「足りない」? 学生の「労働者化」は何を引きおこしているのか」
坂本聡三・渡辺正之(1974)『プロレタリア兵学教程 人民兵学構築をめざして』鹿砦社
白井聡(2007)『未完のレーニン講談社
友常勉(2012)『戦後部落解放運動史 永続革命の行方』河出書房新社
中野晃一(2015)『右傾化する日本政治』岩波書店
萩原丈夫(1977a)「能力主義的選別機関へと腐朽せる大学教育の現状」、北海道共産主義者同盟常任委員会『プロレタリア戦旗』12号、現代史研究会、12-15ページ
    (1977b)「「経営の危機」を口実とした学費値上げの欺瞞性」、北海道共産主義者同盟常任委員会『プロレタリア戦旗』13号、現代史研究会、9-12ページ
藤田実(2016)「戦後日本の再生産構造」、渡辺治他著『戦後70 年の日本資本主義』新日本出版社、55-75 ページ
本多延嘉(1980)『本多延嘉著作選 第六巻』前進社
前田年昭(2011)「学問の目的は、自然と社会と自分自身を主体的に変革するために必要な知識と力を得ることである 二〇一一年度神戸芸術工科大学「組版講義」第一講」
マルクス主義学生同盟・中核派(2017)「「大学改革」と改憲・戦争」、『中核 復刊2号 「革命家マルクス」の復権』前進社、151-187ページ
              (2018)『中核 復刊第4号 日大・東大闘争50年』前進社
矢部史郎(2006)「学生に賃金を」、矢部史郎・山の手緑『愛と暴力の現代思想青土社、113-122ページ
渡辺治(1990)『「豊かな社会」日本の構造』労働旬報社

 

Twitterから+メモ

<労働運動・社会運動・革命運動関係読書メモ>

☆伊藤晃『戦争と労働運動 戦前労働運動の歩み』(労働者学習センター、2005)

 「評議会の綱領が、労働条件の改善と生活の向上は労働者の組織と闘争によらねばならず、また組合運動は労働者階級解放を目的とすべきだ、と述べたのは、右派労働運動を意識したものですが、さらに、この目的に沿って労働者を絶えず教育・訓練し、組合機関に一般組合員の意志を正確に反映させ、彼らを常に組合の行動に参加させねばならない、という原則を主張したのは、むしろ日本の運動の伝統への批判と変革意志を示しているのです。」p.107。

20年代ストライキの中から組合発生ー”ストライキをやるための組合”という固定観念(組織の持続性、日常的大衆性欠如...)の問題/企業側は力と力のぶつかり合い+権力の援護により「新しい労務管理」(組合否定からの企業別従業員組織、労使協議機関をつくることで、労働者集団を「わが社の従業員」へ分断、労務部門新設政策へ向かうわけであるが、そこで運動側の限界をも含んでストライキを通じて「運動」が日常的労資対立の場からしめだされていく・・・過程/以上と関連してサンディカリズムの発生など興味深い。

☆前田裕晤著・江藤正修編『前田裕晤が語る 大阪中電と左翼労働運動の軌跡』(同時代社、2004)

 ☆『江藤正修遺稿集 社会的労働運動の模索 明日を見つめた格闘の記録』(編集委員会、2017)

前述した前田裕晤の本を読んでいても思ったが、関西独自の運動は知らないことばかりだ。先日、かの有名な田中機械(ビール工房「地底旅行」)に行く機会があったのだが、国内的には80年代労戦統一に抗する拠点的位置、国際的にはポーランド「連帯」-自主管理社会主義への注目という国際的文脈で大事だ、としたり顔で同行者などに説明するネタになった。またかなり前に酒井隆史が大阪の文化を論じる文脈で田中機械の機関紙あたりから引用していた気がするので(たしか『通天閣』だろうか?)確かめたいと思う。ビールに関してはよくわからないが2種類まぜたらとても美味しかった。

それから国鉄闘争に関する記述で、総評左派ー国労の戦闘性の基盤として、「復興」を担ってきたこと、戦後を・家族を支えてきたことの誇りとしての「国労魂」に言及しているところが印象的だった(そのうえで、そうした戦闘性ゆえの困難性もあった、と)。

☆増山太助『戦後期 左翼人士群像』(柘植書房新社、2000)

 ☆小西誠『反戦自衛官―権力をゆるがす青年空曹の造反 (増補版)』(社会批評社、2018)

 「事件」後、”上からの圧力”と”下からの抵抗”渦中の下士官こそが上記⇧ばねとなるだろうと述べている。たしか80年代後半の決起は⇓中堅の人たちが重要な役割だった。

 ☆桑折勇一『ノーサイド成田闘争―最後になった社会党オルグ』(崙書房出版、2013)

たしか闘争初期会議にて、社会党は砂川とか妙義山でのあれこれもあり実力闘争、話し合い絶対拒否、対して共産党は独立・民主主義・平和・生活向上云々といった諸要求スローガンの一環にしてしまったうえで”軍事基地反対・ベトナム加担するな”である。後の新左翼(の一部)も”軍事空港”論はあるがまた別の視角だろう。

ちなみに「ふるさと文庫」(別だが筑波書林の「ふるさと文庫」も面白いのがある)の崙書房出版HPによれば2019年7月で業務終了とのこと。ふるさと文庫の三里塚関連で私が読んだのには、他に原口和久『成田あの一年』(2002)、大和田武士・鹿野幹男『「ナリタ」の物語 - 1978年開港から』(2010)がある。前者では地区労は反対しているのだが成田市職労は開港促進決議(1975)、パイプライン関係での住民運動や国と千葉県の”内ゲバ”エピソードなどは戦後史のいろんな問題を考えさせられた。後者では闘争中、指名手配中にどっかの選挙の応援演説した、という活動家が登場する。

☆伊藤晃・布施宇一・増田明生・田中康宏『戦後労働運動と反合・運転保安闘争 国鉄闘争全国運動を広げよう』(労働者学習センター、2010)と社青同『体制的合理化と国鉄闘争』(社青同中央委、1987)

動労千葉パンフでは、伝統的反合闘争との違いとして①結果ではなく過程へ②賃金と引き換えにも反対③妥協点設定しおさえこみに反対④労使一体(国鉄一家!)批判、により、労資の具体的対立を通したものとして(伊藤晃)把握するのが大事だなあと。

社青同学習シリーズ本、2章「国鉄労働運動と国鉄分割・民営化」では戦後日本労働運動の歩み=合理化攻撃との闘いの歴史として、とくに60年代以降の国労歩みはわかりやすかった。合理化に対して”絶対反対”と”要求対置”で矛盾が発生し云々など興味深い。

 ☆伊藤晃『天皇制と社会主義』(勁草書房、1988)

 日本資本主義”固有の型”への視点では野呂と高橋亀吉は共通点をもち(!)、そのうえで「日常の経済生活をとおしてナショナリズムを人民に浸透させる道を追求した」p.326高橋の方が「能動的」である(”国家機能の拡大”、それには”天皇制の機能更新”からむ)。グラムシ(あるいはグラムシ的)がよく参照される、また天皇制と社会主義、というタイトルどおり”と”にこだわっている。

「〈物語〉シリーズ」感想

〈物語〉シリーズ

 セカンドシーズンまでみた(わりと再視聴ふくむ)。いろんなものの切り貼り感はパロディやパスティ―シュというのかあれは。キャラクターやら街の風景の殺風景さ(という表現でいいのか?)や戦場ヶ原家の壁にベタベタある新聞、言葉遊びはもちろん、いろんなタッチ(赤塚、杉浦、楳図・・・)になったり(とくに八九寺真宵阿良々木暦のかけあいとともに)、また赤瀬川ニセ一万円札など楽しめた。そのうえで素直に感動する、焦点があてられるヒロインが変わるたびにいちいち共感する青春ものだなあと。

 同じく”怪異”(〈物語〉シリーズでの使い方と同じになるかはわからないが)ものでいえば、わりと道徳臭い(悪い意味ではない)点や距離感とるように言い含められ学んでいく点で『もっけ』ぽくないか。ただし、うまく言えないが『もっけ』で大きい位置占めるよう村や学校、家族という「関係」と〈物語〉シリーズのあれこれの「関係」はかなり違う。

※そういえば諸星大二郎の「栞と紙魚子」シリーズの栞なんかは<怪異>にこりずにどん欲に進んで繰り返すなあと思い出した(「ドラえもん」ののび太ぽい?)。どの話か忘れたけど”行ってみましょうよ”的な感じでいかにもな方向進んでいくシーンがあった。

 あと切り貼り感あるけど感動したと書いたが、最初の戦場ヶ原さんが”降ってくる”阿良々木暦との出会いシーンから私は”『化物語』は『天空の城ラピュタ』批判説”を根拠がないけど主張している。パズーの話し方にイラついたからかもしれない。

 

以下いくつか。

阿良々木火憐

 『偽物語』の「かれんビー」から「つきひフェニックス」まで貫いて本当にかっこよい(火憐OP「marshmallow justice」いうところの、目が覚めたら夢の続きがまってる、また頭で考えるよりも先に行ってしまうようなやつである)。

 教訓→とりあえず夢の続きやら妄想も大事。説教とか精神分析みたいなものはときどきでよい。こっちもときどき必要。

千石撫子

 セカンドシーズンのモノローグで(たしか「なでこメドゥーサ」の最初か)、わざわざ好きなお兄ちゃん→暦お兄ちゃん、好きな人→阿良々木暦と分けていた。分けて考えるものを分けれなかったのか(てきとう。とするならばそれとは逆に複雑な感情を分けていく、<好き>という言葉の意味を丁寧に考えていくのが『カードキャプターさくら』の木之本桜だ(まだ「クリアカード編にちゃんと目を通せていない)。ちなみにclampの他作品、例えば『20面相にお願い!』だと<好き>の意味、分けていくよりもまず伝えることが大事、の比重が大きく感じた。これは『ふたりはプリキュア』みたときにも思った。

 千石撫子についてはあまり関心がわかなかったが、今日散歩中みかけたJCP赤旗宣伝ポスターに千石撫子の10年後みたいな人がいた。→「しんぶん赤旗」ポスター(女性)

斧乃木余接早見沙織)のOP曲「オレンジミント

www.youtube.com

 聴いていて『機動警察パトレイバー』の内海と黒崎くんではと思ったし、もはやそれ以外に思えない。一時こればかり聴いていた。

 

メモ・最近の『前進』を読んで

 3106号(2020.2.10)の革共同中央学生組織委員会「学生戦線の2020年アピール 青年・学生の運動を創造しよう」http://www.zenshin.org/zh/f-kiji/2020/02/f31060301.html は最近の『前進』掲載文章のなかでも示唆されること多かった。

 メモ

①「この社会が変わってほしいと願う若者は圧倒的に存在する」こと踏まえた上で、「職場・学園といった拠点における攻防も街頭におけるデモンストレーションも、主体は同一人物になるのであり、本来は分裂するものではない。街頭と拠点攻防を相互に促進しあうものとして構えなおし、全面的な若者の運動を創造しよう。」は重要だろう。
②"層としての学生"が成立しにくい時代状況で、若者(学生・青年労働者)の運動も「特定の領域」で大衆的形成をなしえていても過度な一般化はできない。小ボス支配を生むだけである(もちろん裏返しに「特定の領域」の寄せ集めをするだけでも不可能である)。今後の課題ではないか。
③上記アピールにて言及される"主体の分裂"とその克服提議は②の課題を示唆するものではないか。この"主体の分裂"問題は60-70年代階級闘争と深く共鳴した陶山健一『反戦派労働運動』でも述べられているものであり同じものとして扱うのは全くの誤りだが相互関係も考えていきたい。

メモ(Twitterから)

反戦派労働運動~戦後日本社民~戦後労働運動

 たしか『反戦派労働運動』(陶山)では、反戦派=日本型社民の左傾化と"革命的左翼"の労働運動定着化の複合体と規定していた。「われわれの反戦は、いつでも独自で決定的な闘いに出る力をつくり、またそれを貫徹するが、同時にそれについてこられない「反戦」をもそれなりの闘いに立たせ、全体として行動する場をつくるために積極的に取り組む」(前進社版・上、p.167)、「われわれは、どこかに戦闘的労働運動があると考えそれに期待するのでなく、弱ければ弱いなりに、同盟や御用組合ならそれなりに、自分のいる職場の仲間を立ち上がらせ半歩でも前進させることが、総体として日本労働運動を支えているのだということを自覚しなければならない」(前進社版・下、p.110)など私は単純にいいこと言うなあくらいに思っていたが、社民論媒介など歴史的文脈に注意したい(そこに学ぶべきこと多くある)。 

あるいは最近出た『「全臨労」走り続けた五〇年 全臨時労働者組合結成五〇周年記念誌』(2019)に書かれていた「個人加盟制の合同労組は誓約者集団と言える。しかし、そういう形式、組織形態をもって企業内意識を脱することができるのかと言えば必ずしもそうではない。個人加盟制の統一労組という組織形態を活かす労働組合の路線・方針が問われることになる。」の問題意識などとの関係学びたい。

それから全臨労本でも言及されている工場委については革共同再建協の『展望』21号(2018)の、八代秀一「1917年初めのドイツ労働者運動-その背景としての軍事独裁」が単純に勉強になった。

 ↑榎原パンフ(こちら(六)など)、勉強にはなったのだが、「帝国主義と対決する労働運動」への批判についてはいまいち。同パンフでも参照される「分裂の時代」(清水慎三)ふまえた党なり大衆組織の理論を考えるとややカテゴリー主義的批判ではないかと思う(ちなみに一部をのぞいて新左翼各派の運動方針が重なってきていることも確認されている)。著者のパンフ執筆時については『追想にあらず』に。

これは 『インパクト』11号(1981)の特集「ストライキは甦るか」によせられた仙波輝之(当時・社会党中央本部国民政治年鑑編集部)の「戦後ストライキ年表・資料」末尾、必読参考文献一覧から。36冊あげられている。

 『前進』3106号(2020.2.10)巻頭論文によれば「去る1月14日、動労千葉顧問弁護団や星野再審弁護団長を務め、14年東京都知事選と衆院選、16年参院選に出馬した鈴木達夫弁護士が肺がんのため79歳で亡くなった。1964年にNHKに入り、日放労長崎分会委員長、全国反戦青年委員会世話人として70年安保・沖縄闘争の先頭に立った鈴木氏は、「革命の現実性は革命家の執念に宿る」という革共同の本多延嘉元書記長の言葉を非常に好み、生涯をかけてそれを貫いた不屈の革命家だった。」。また同号「団結ひろば 投稿コーナー」に「日放労時代の鈴木弁護団長」投稿されている。

 前述『前進』同号の革共同中央学生組織委員会「学生戦線の2020年アピール 青年・学生の運動を創造しよう」について。「われわれは職場やキャンパスで孤立しがちの左派層にもっと大胆に呼びかけ、その結合・決起を助ける必要がある。その闘いの発展は不可避的に階級支配全体を揺るがすものになるだろう。職場・学園といった拠点における攻防も街頭におけるデモンストレーションも、主体は同一人物になるのであり、本来は分裂するものではない。街頭と拠点攻防を相互に促進しあうものとして構えなおし、全面的な若者の運動を創造しよう。」、反戦派労働運動を想起させる部分だ。

 ☆政党と社会

 ↑共産党についてなんか言ってた。「現在」の、重要。

☆戦後革命期

 ☆その他

 「山谷(やま)ーやられたらやりかえせ」はみたい。

 

読書メモ(Twitterなどから)

国鉄革マル

 これは『中原一著作集』や対革マル戦史http://zengakuren.info/kakumaru-top.html

 ☆『スターリン主義と農業の強制集団化』

 ☆陶山健一(岸本健一)

 ☆『臨調国鉄攻撃と労働者階級』

 ☆田川和夫

こちらは『日本革命運動史・戦前篇Ⅰ』(青年社、1970年)。主に『最前線』掲載論文収録。山川均を典型的対象(自伝などに表現される”無責任”ともいえる部分も参照される)にしての党建設の諸問題、主体的責任を厳しく問うている。岸本健一『日本型社会民主主義』での山川への”ルンペン”なる表現とも関係しているか。ロシア革命以後の20年代の党建設諸問題とスターリニズムつよく関連(田川はまた第二次大戦後の「戦後革命期」重視)。

 こちらは『戦後日本革命運動史』(現代思潮社、1970年)。『前進』連載の「戦後革命運動の焦点」単行本化(出版時も連載中)。日本共産党在日朝鮮人運動の部分(十一章)にて一般に30年代”極左日和見主義”とされる時期について、「だが問題は、労働者大衆の大衆的ストライキ闘争の拡大のなかで、労働者大衆自身の帝国主義にたいする武装をどのように準備するかの革命党の指導が媒介にされて論議されない限り、戦術をめぐる論争は往々にして右翼的立場を合理化するものに堕してしまうものだ」p.295は注目。小西誠の1980年代軍事理論本https://mao1938.hatenablog.jp/entry/2019/06/01/190822での評価ともつながるか。関連してロゾフスキーやらの争議戦術への軍事理論の”適用”問題については小山弘健が文献とともにその日本での過程紹介(『戦前日本マルクス主義と軍事科学』ほか)、中村丈夫が短いレジュメで読みにくかったが鋭い批判的言及(たしか『クラウゼヴィッツの洞察』)していた。

 ☆脇田憲一『朝鮮戦争と吹田・枚方事件』の伊藤晃解説より。

この本では工作隊の影響で村に労組ができたりあれこれの部分印象的。