mao1938’s diary

徒然なるままに・・・(略)・・・あれこれ述べる。Twitterは@mao1938

ガルパンみた(TV版)

普通に面白かった。感想いくつか。

(1)角谷杏について

戦車道を強引に進めるのには廃校阻止という目的があったわけだが、"愛校心"一般ではなく、もともとの生徒会仲良し組の既得権益維持が基本的モチベーションだと思った(西住みほに言えなかったシーンの後、思い出回想とか)。前半をみているときはもっと深刻な事情(角谷の個人的、例えば親との関係がからんで)があるのではないか、と緊張してしまったがよい意味で裏切られた。この裏切られた予想は、まどマギの佐倉杏子を連想させるというのもあるかもしれない。

何が言いたいかというと個人的には"強気な性格"女子キャラの、その性格の"原因"に親子関係とかをぶち込むのは苦手(もちろん作品のなかでの位置はそれぞれであるが)なのでここは良かった。この点は、『かみちゅ』の三枝祀で後半にそれが若干でたときの違和感から時々思うことがある。

だから冷泉麻子は新鮮に感じた。

(2)ミリタリーカルチャーや共産趣味

ミリタリーカルチャー(大雑把)にはあまり関心が湧かなかったのだが少し興味を抱いた。そのため作中の小ネタを楽しむということはできなかった(そもそも小ネタがあるともあまり思わなかったレベル)。今後は幼女戦記とか艦これあたりにも目を通してみたい。

あと、ガルパンをみた知人がプラウダ高校のところあたりのノリで"共産趣味"っぽいこと言っていたので、この作品が原因か結果かはともかく、共産趣味文化もわりとメジャーなのかもしれないと思った。日常会話にソ連風(スターリンや「社会主義」官僚風?)用語まぜる、あるいはその他"雰囲気"を楽しむというのがどの程度広まっているかはわからんが、まああってもおかしくないだろうし、それ自体は「危険」ではない。

(3)その他

それぞれのキャラクターが戦車道一辺倒になるのではなく、またうまく表現できないが抽象的な人間的成長やら恋愛に着地せず、違う道も真剣に取り組み成長していくのは単純によいものだな、と感じた。私は秋山ゆかりが好き。

それから知人が、西住みほ=毛沢東説を出していたがこれは間違い。退却や攻勢の弁証法を指していたのだと思うが、大洗女学園以外チームもやってたのではないか(可能性としても)。またそのような、抽象的図式を一面的に取り出して過度に強調するのは俗流的な、非-弁証法的な考えではないだろうか?三浦つとむの今村太平批判を想起すべきだ(たしか『芸術とはどういうものか』)。

『郷土教育運動小史』(桑原正雄)

たいまつ新書5『郷土教育運動小史』(1976)のメモ。

著者は郷土教育全国協議会の創設者。郷土教育とは「教育における中央集権的な権力思想を排除し、それぞれの地域に、土着の思想と行動にささえられた、民主主義教育の樹立をめざすものであり」p.10、郷土教育全国協議会は「父母と教師が対等の立場にたって、国家権力による教育統制を排除し、地域に民主教育体制をうちたてるために研究と運動をすすめている団体である」(裏表紙)。

著者は世田谷教組時代にレッドパージ、当時44歳で”女房と子ども四人の家族抱えて、これからどうやって食いつないでいくか”から”教育でメシを食う”に至ったと。それから山口県出身らしく(?)、自分たちの運動を高杉晋作の”割拠して闘う”や”貴族の没落、地方武士の興起”になぞらえるのも印象的。

以下、引用・メモ教育関係にはまったく疎いので読んでいて?ばかりであったが。

☆郷土教育は学習領域としての郷土を対象にするものではない。

「「郷土に即して」日本の現実をとらえる必要」「いわば地方分権的、人民的発想で”教育”をとらえ直そうとするもの」p.35

”個々の具体”とらえる(労働や所有への問題意識へつながる)大事さという文脈で、

「戦前の郷土教育は”郷土”を「学習の領域」と考えたから、自分の”村”や”町”も、府県単位の”郷土”も、「地域空間のひろがり」としてとらえた。そのように考えると、「自分の生活現実」は「地域空間のひろがり」に埋没してしまう。たとえば「わたしの村は貧乏だ」という。それも一つの社会認識ではあるが、科学的・階級的な認識ではない。ほんとうは貧乏な村ほど、貧富の差がはげしい」p.39-40

☆個人的には次に引用する当たりが印象的。

教師の指導性=組織する指導性とは”子どもの問題意識”を手段にするのではなく

「子どもたちがなぜそのようなことを問題として意識したか、その根底にある”認識”こそが問題なのです。その認識のちがいを学級集団の中ではっきりさせ、おたがいに学び合うことによって、認識の質をより高いものに変革していく」p.45-46

「これまで私たちの教育理論の基軸をなすものは、真の統一と団結をめざす「認識変革の教育」であり、それを実践し実現していく教育方法論としての「組織する指導性」でありました。具体的にいえば、「子どもたちが、なぜそのようなことを問題として意識したか、その根底にある”認識”のちがいを学級集団の中ではっきりさせ、お互いに学び合うことによって、認識の質をより高いものに変革していく」ということでした」p.58-59。

この”認識の質”とは事実認識ではなく、人それぞれが”階級的な立場や思想を反映する”価値判断の根底にある価値認識であるらしく、よって階級的、思想的教育であり、主体確立を重視する教育である(p.59-60)。そうした点で”文部省”のみならず”革新”系の”知識主義”も批判されている

「わたしたちは(イデオロギーの代わりに科学を、ではなく)「教育の論理」も、「イデオロギーに対してイデオロギーで闘う」ことだと考えます」p.204

☆教育合作運動・・・「日本における”文化大革命”」

「権力の末端機構にあぐらをかき、人民に背をむけている教師たちに、反省と自覚をうながす方法はただ一つ、PTAのワクをとっぱらってしまうことでした。子どもがあろうがあるまいが、そんなことは関係なく、地域住民のすべてが学校教育に対して発言し、はたらくものの要求をもちこめば、教師も労働者の側に立たざるをえなくなり、教師の中にひそんでいる権威主義(聖職者意識)もふっとんでしまうだろう」p.55

「学校教育は権力の支配をはなれて、直接地域住民の責任において運営」p.126べし。

そのとっかかりとして親と教師の対等きずくものとしての合作運動。この辺りと関係して”封建遺制をもとにした、きわめて地縁的な集団”など言及している。

☆土着の思想

秩父事件について「生活を防衛しようとする土着の思想(たぶんに保守的である)が、進歩的、革命的な民権思想と結びついたときの、人民大衆の爆発的なエネルギー」p.15-16云々。

「明治初期に小学校を焼打ちした農民は、学校教育を拒否することによって、生活を防衛しようとしたのですが、百年後の今日では、地域住民が学校教育に直接に参加することによって、みずからの生活を防衛しようとする」p.57

 

☆その他・感想

様々な領域(内容のみならず方法、中立は結果的に権力に加担)に”階級性”を浸透させる面や”農村から都市を包囲する”的(郷土を農村に限定はしていないが)実践面など特徴的か。読んでいて漠然と”統一のための対立”が重要なのだろうという印象を抱いた。(対米従属もでてきた。)本書の約3分の1(70ページくらい)を占める過去の著作からの抜粋集「文献から」は『毛沢東語録』を意識しているかもしれない。コミュニズム運動・理論の様々な面が背景にあるだろう。また高度経済成長期からの反公害闘争、住民運動に注目しており、60年安保の主戦場は国会周辺だったが70年安保の主戦場は日本全土に分散と表している(p.67-68)。教育労働者の運動と住民運動が不即不離であったこと、政党・労組エゴへの批判、”教育労働の特殊性”は”聖職者”にはならないこと、国鉄労働者の運動に言及しつつ教育労働者の労働者としてのたたかいはいかにあるべきかなどそれなりに学ぶことはあった。しかし著者が強調する”土着の思想と行動”、”村落共同体”への注目、中央集権性と対置されるのみの自治性、保守性(それのみでは”革命性”ないように読める)などには、資本の運動をとらえる契機が少ないのではないかと感じる。マルクス主義における地理的考察、日本資本主義における農業問題やさらぎ徳二が、宇野弘蔵の、”労働力商品化の無理論”が重要な位置を占める恐慌論ー蓄積論に対して、「直接的生産関係の蓄積の傾向的な絶対的な拡大が外部の諸部門や諸部分を分解させながら資本制生産の従属下に捉え、全社会的な生産関係を拡大再生産するものであるという基本的な視点」(『宇野経済学体系の批判』p.149)欠落を指摘したこと、「原理的」解明の対象となる独占資本における分断の構造との自覚的闘争の重要性(”反プロレタリア的底辺主義”批判へもつながる)を指摘していること(高須賀義博も)は参考に学んでいきたい。

 

読書メモ

メモ・山崎カヲル「現代思想の中のクラウゼヴィッツ 生誕二百周年によせて」中央公論1982年6月特大号から。特集「八〇年代防衛論の前提を問う」にて。

 

主題はテキスト編集問題と解釈史の批判的検討で手短かにまとめられている。後者個人的に重要だと思った点メモ。

 

「『戦争論』の掲示したもっとも決定的な問題は、政治と戦争指導との関係、絶対戦争という概念、攻勢と防禦との非対称性の三点に絞り上げる」142pことができる。

☆政治と戦争指導
(1)関係の可逆性
ルーデンドルフによってはじめて打ち出された、と。彼の『戦争指導と政治』(1922)には”二重の歪曲”があり、①戦争と政治を「同一物の別表現」とみなし、さらに②この政治を「外交」へ切り縮める。

”共鳴者”が赤軍参謀本部の育ての親ボリス・シャポシュニコフに見いだされる。
「「戦争が別箇の手段をもってする政治の継続であるなら、平和も別の手段をもってする闘争の継続である」(『軍隊の頭脳』1929年)と述べることで、政治と軍事との境界線を曖昧にしたのである。シャポシュニコフは「政治的に無関心な」軍人の典型としてE・ヴォレンベルクが名前をあげており(『赤軍』島村・大木訳)、そしてそのためもあってスターリンの粛清を免れたのであるが、政治への無関心が政治への侵犯をなす代表例のひとつであろう」142p

(2)ナチ崩壊以後”好戦主義者”や”時代遅れ”ぐらいのとびつく(1)と違って「職業軍人の支配的見解として流通し続けている」143pのが「クラウゼヴィッツが戦術のレベルでしか認めようとしなかった「純粋に軍事的」な判断を戦略にまで推し拡げ、戦略は軍人の専管事項であるとみなす風潮」143p

☆絶対戦争について

☆攻撃と防禦の関係

攻勢第一主義はやはりモルトケ影響大きい。

多くの戦略思想は戦争両当事者が攻勢をとることで成立する「両極性」(ゼロサムゲーム)に基礎を置くがクラウゼヴィッツの攻勢と防御区別は「両極性の世界のものではな」p145く、両者の非対称性が「「極限への上昇」を妨げる」p145。防禦それ自体の強力性プラス「外部における改善の可能性」p145。

 

 

以下メモして思ったこと。

クラウゼヴィッツの政治は『『戦争論』入門』(清水多吉)では近代の"普遍性をもった政治"、『プロレタリア兵学教程』(坂本聡三・渡辺正之)では"内外の全般的情勢に対する洞察"強調だった。前2著が排除していたわけではないが(一般的に政治の一つの表現としての外交に関しては言及していたと思う、また両著の"クラウゼヴィッツの歪曲史"に位置づけるふうな記述と関係しているかもしれない)、ルーデンドルフの"歪曲"、"転倒""可逆性"に加えての政治を外交に切り縮めたとの指摘は私にはなるほどなあとわかりやすかった。ちなみに清水本では政治と戦争について、クラウゼヴィッツ歪曲の流れー「現実」と密着したーはナチスに至るドイツ系とともに、ソ連トハチェフスキー事件が参照されるのが印象的。それぞれの著者に独自の"近代"観あり(とくに書かれた時代状況を『教程』は反映していると言えるかも)、クラウゼヴィッツと離れた具体的な状況を説明するときにそれが現れやすいのではと感じることありそこは整理したい。

『日本階級運動の現段階』(小山弘健)

☆小山弘健『日本階級運動の現段階』(現代史研究所/1970)

➡内容
一、戦闘的左翼統一への課題
二、死して生きる社会党の遺産 ※八木静一との共同執筆
三、日本共産党の体質変化
四、戦闘的左翼各派における総括と展望ー七〇年~七〇年代闘争を迎えてー
五、現代革命と日本革命ー書評集ー
(A)黒田寛一『日本の反スターリン主義運動 2』
(B)滝村隆一『革命とコンミューン』
(C)太田竜『日本革命の根本問題』
(D)宍戸寛『人民戦争論
(E)竹内静子『戦後民主主義への告発』
<付録>
座談会・先進国階級運動はなにをめざすか(海原峻、久能昭、小山)
あとがき

 

1969.2~1970.2頃に『現代の眼』『経済構造』『現代社会主義』(現代社会主義研究協会)『図書新聞』『日本読書新聞』掲載の文収録。統一戦線の課題や”広義労働者”、反戦青年委などの問題中心に言及(前に読んだ『反安保の論理と行動』とも重なるか)。

 

その他いくつか引用・メモ

二から。戦後型「平和と民主主義」担い手・民同型労働運動への密着により革新首座たりえていたが(理念と日常の分離からくる「疑似革命政党」だが。協会派や構改論はその差を埋めようとしたといえる。)主客面で限界。貴重な財産の一つとして政治的修練もふくむ組合運動の堅持という点。

「もともと日韓会談の時期に社会党・総評・社青同三者反戦青年委運動をおこしたのは、動員指令による統制デモではとうていするどい反独占政治闘争を組織しえない、という問題意識から発していた」「いいかえれば、組合運動のカバーしきれない「反戦」「反安保」「反帝」といった課題を、社会党・総評が運動の場を提供するという保証のもとに、青年労働者や学生の自発的政治行動によって、動員デモにとどまる労組の政治闘争の質をも向上させよう、というのであった」p.23

それに組織的技術的対処ダメ(そこで総評・社会党間でも意見対立アリ)、問題は
反戦青年委の運動が社会党・総評の運動体質をどう改革するか」p.17

 

三から。日本共産党の超合法主義・適法主義の問題。多くの大衆運動との対立ふまえ。

「「反革命勢力」の規制やとりしまりを政府・自民党・警察に要求するのを「当然のこと」とする」考え方、これには「みずから反革命勢力と対決したたかうのではなく、政府と警察にその処置をすべてまかせ、自分は現在の支配体制・その法と秩序を厳守して、ひたすら合法的存立を志向する党の根本態度が、みごとに表明」p.31

また官憲による弾圧を無視する、「階級的道徳」無視の労農派への片山潜による弾劾(労農派批判が正しかったか否かは別として、とは)も参照されている。

あとこのへんも気になった>

「最近における「正当防衛権」の強調は、権力や警察にたいしてのものでなく、警察や裁判所とたたかっている「トロツキスト暴力集団」にたいするものであり、このために当局から逆に、そのような党の正統防衛権は法的根拠がないから、警察や法の正当な保護にまかせるべきだと、親切な忠告をうけるしまつである。(秋山純一「日共の『学内武闘』の実態と『正当防衛』論批判」)。」p.34

 

五の(C)太田竜『日本革命の根本問題』について。「占拠」という視座から1967羽田以後「革命前的情勢」と。それに対し問題点2つ述べている。

「現在、占拠という闘争形態が「普遍的なものに深化する」ような状況にすでになっているかどうか」、それと「「占拠」というそれ自体としては閉鎖的静的手段が、他の動的解放的闘争手段の併用なしに普遍化しうるものかどうか」p.52

『日本労働運動史』(小山弘健)

☆小山弘健『日本労働運動史 抵抗と解放のたたかい』(社会新報/1968)

日本資本主義勃興期から1960年代までの簡潔な通史。日本の労働運動の通史久しぶりに読んだ。

「本書の戦前の部分は、以前ある大きな労働組合が編さんしたその組合史(戦前編)の序論として書下ろしたのが、事情によって収録されないことに手もとにそのままのこしておいた一〇〇枚あまりの原稿が、もとになっている。また戦後の部分は、雑誌『若い仲間』に一九六七年一~九月号にわたって連載した一五〇枚ばかりの原稿が、もとになっている(ちなみに、青年たちに有益なこの雑誌が、最近休刊になったことは、かえすがえすも残念だ)。」(「まえがき」部分)

で、文章を池上徳三がまとめてくれた、と。

軍事的封建的帝国主義論的前提や戦前戦後それぞれの労働運動運動規定する政治経済的特質(下部構造の前資本主義的特質残存・上部構造の「絶対主義」天皇制の両面からのゆがみ、第二次大戦後は資本主義そのものの二重構造)、”階級運動の根本的な理念”p.91=統一と連帯問題などなど。

 

以下印象に残った点引用、メモ。

天皇制権力により、労働者が全国民層を代表して民主主義勝ち取らねば云々。

「欧米の組合の場合では、まず労働者の日常的な生活を擁護する機関としてつくられ、徐々に発展するうちに、階級闘争の学校として成長してきた。しかし、日本では、まず闘争の必要から組合がつくられ、また闘争の結果として組織的に確立される、というコースをすすんできた。したがって日本においては、なによりも、組合はストライキのための機関であったから、大衆の日常的な生活改善の組織としての基礎を、充分に固めていくことがむずかしく、また、時間的にもそのゆとりがなかったのである」p.34-35

 

”昭和”期軍部の台頭、既成ブルジョア政党との抗争

「軍事行動の論理は、それが一度火がついたあとは、それじしんで燎原の火のように拡大していく必然性をはらんでいる」p.69

 

戦争について。あいつぐ近代日本の戦争は

「植民地圏を拡大させ、ふるい経済関係や社会構造の温存を可能にすることによって、天皇制権力を強化させた。それと一しょに、資本主義の早熟な外部への発展をひらくことによって、天皇制権力は歴史の発展にみずからを適応させることができた」p.83-84

 

大戦後講和問題、左社の歩みは戦闘的”日本型社民”のスプリングボードと。また、

「ぐるみ闘争や平和経済プラン闘争など、創意に富んだ方式を提起した高野実の指導は、労働組合運動を、せまい企業内闘争や民族闘争と積極的に結合させることによって、たしかに歴史的な功績をあげた。だがその半面では、このため、労働組合運動が職場や経済闘争の足場からうき上がり、その本来の独自的性格をうすめて、全体の国民運動に埋没していくかのような弱点をうきだたせた」p.158

高野=完全に日本型社民というのではなく、”日本型社民”の評価の難しさ(私は整理できていない)、またたしか『日本の社会民主主義』で清水慎三が述べたスプリングボードという、戦後世界に規定された”仕掛け”という表現に注意したいなと。

国鉄分割民営化関係

最近は鉄道、交通関係(まったく知らない)の本や”合理化”問題意識して労働運動関係読みはじめかけている。そこで少し前に読んだ国鉄関係本紹介。国労関係者の立場からの歴史・総括は読んでいないので今後時間があれば読みたい。

 

☆杉田明『臨調国鉄攻撃と労働者階級』(国鉄問題研究会/1983)

便利。”分割民営化”の背景・進展に加えて動労千葉史もセット(Ⅱ部)。私が読んだ順番は鎌倉⇒杉田⇒中野だったが、3冊読むならこの本最初が個人的おすすめ。とくに「現場協議によって取り決められ、永年有効に機能してきたさまざまな協定・慣行が、あらたな協議も経ずに一方的に破棄され、組合が応じなければ業務命令、なお従わなければ懲戒処分、というやり方が一貫してとられてきた」p.50-51過程。国鉄の現場がそれぞれ獲得してきた慣行が”現場が勝手に決めた”として「ヤミ協定、悪慣行」と叩かれ、国鉄当局もぶち壊す様子は、「国鉄分割民営化」が労働者の長年蓄積してきたものを破壊する攻撃でもあったと再確認。現場ごとに違う条件で労働者がどのような労働生活、団結つくってきたのかは調べてみたい。ちなみに研修部門の順法闘争「いろいろな機器をあれもおかしい、これもおかしいといって全部バラシて修理したり、出区点検も徹底的に時間をかけて入念にやる」p.306は読んでいて楽しい。細かい点では”上から”の臨調報告やら答申をうけての緊急措置だか対策で国鉄職員と市町村議員の兼職禁止が通達、それにあてはまる議員は社会、共産、自民でそれぞれ291、84、2人というのは印象的だった(わかりやすい解説あった)。あと国鉄バッシングについて中曽根が「ジャーナリズムがこれほど真剣に支援してくれたことは明治以来ない」と軽井沢セミナーで語ったことも忘れてはならないだろう。

 

以下いくつか引用。

公共性と企業性問題、戦後革命や高度経済成長期など戦後史のなかでも考える必要。

「通常業務とは無関係なところで巨額化し、かつ急増しおている支出が、国鉄財政を破壊するきわめて重要な要因になっている」p.142

公共企業体国鉄とは、・・・・・・一方では公共性の名において、国鉄労働者の労働基本権を破壊し、組合を圧殺・解体し、他方では企業性の名において、国鉄に独立採算制を強制し、国の財政援助なしに、国鉄労働者への徹底的な搾取・労働強化(と国民大衆からの収奪)をもって、国鉄国鉄労働者を日本帝国主義の戦後的復活と朝鮮侵略戦争のために全面動員するものであった」p.179

動労動労千葉に関蓮して。

「実際、国労、機労の区別なく、千葉の国鉄職場には、六〇年代までほとんど労働運動といえるものはなく、当局が絶対的権力を握り、組合はその言うなりになり、組合の役職につくことは役職につくことは、職制への出世のステップでしかないという状況が続いていたのである」p.303

動労青年部設置(1961)は内部変革の重要な出発点と。60年前後の青年労働者のエネルギーは社会党史とかでも重視されるし60年代後半の青年労働者と比較するのとかは面白いかもしれない。それと政治闘争との関係。

反戦闘争でつちかった質を職場に還元させることによって、戦闘的青年労働者のたたかいは職場にも急速に定着し、同時並行的に、ほとんど無権利状況におかれていた職場から独自の職場闘争を組織していったのである」p.304-305

「あらゆる労働運動の歴史が教えているが、動労千葉においても、この反戦・政治闘争への積極的関わりのなかに、組合総体の戦闘化を実現してゆく動力があったのだ」p.305

60年代後半には千葉、春闘でバリスト。

「当時は大学でのバリケード闘争がまだ盛んだったこともあるが、権力の包囲化で、青年労働者はごく自然にバリケードストに突入していった。現場の労働者にとって、それはけっして特別のたたかいではなく、みずからの職場と組合を国家権力の暴力から実力で守った当たり前のたたかいであったにすぎない」p.317

これは深い含意を読むとるべきでは(私がノートにここだけとっていて文脈を覚えていないだけだが)。かつての国鉄”職場放棄”闘争とか考える必要ある。

 

補・「この時期、「これは」と思ったのは、臨調本(『臨調国鉄攻撃と労働者階級』)くらいだ。」とでてきた。

 

 

鎌倉孝夫『「国鉄改革」を撃つ』(緑風出版/1986)

”民活路線”登場の背景、”私的”諮問行政の突出、煽られる危機や”破綻している”なる言説の前提はどうなんだよという点などわかりやすい。「日本国鉄は、すぐれた労働生産性、そして低い人件費という経営的には優秀なパフォーマンスを示しており、西欧以上に経営上有利であることは疑いないにもかかわらず、異常な赤字、債務を出しているのである」p.150重要。後半は公共性論。ここは宇野派の国家論とも関係すると思う。ちなみに宇野批判ー”公共性”の評価をめぐってはこんな本がある(国家論中心だから宇野「経済学」批判の内容はかなり簡略化されているので、さらぎ徳二の『宇野経済学体系の批判』を先によむといいかもしれない。31テーゼ評価ー日本資本主義論もあり、文章もわかりやすかった。そして具体的に何を説明するのかが明確。)。

以下引用。臨調の考え。

国鉄経営の赤字は、「公共性の観点」が強すぎ、「企業性」が「欠如」していることにあり、しかも「公共性」の最大の問題は「親方日の丸」意識の下で労務管理の不徹底、経営者の企業意識・責任感の喪失と職場規律の乱れにあるとしている。ということになれば、私企業として採算をとれる分野・領域に集約し、徹底的に労務管理・合理化を強める以外にない。したがって不採算分野・領域は当然切り捨てということになる。まさに私企業原理、すなわち利潤原理を基準とした”公共”輸送機関としての国鉄解体論であった」p.133

 

 

☆中野洋『俺たちは鉄路に生きる』(社会評論社/1986)

読みやすい&動労千葉のグラビアもたくさんあるのがよい。以下印象に残った点。

労働者へのバッシングに関連して。

「(ストライキちゃんとやっているのは我々くらい、で)新幹線総局、東京西局と千葉局の三つだけが黒字なのです。それとも、われわれの働き度がそんなにずばぬけていいということなのか。そんなこともないでしょう。つまりそんなことは関係ないのです。働き度が悪いとか、タルミが赤字の原因などという宣伝がいかにペテンであるかは、千葉局の例からでもわかる」p.22

「マスコミが大量のデマ宣伝をまことしやかに繰り返すと、「そう言えば、駅に立っていた奴は、お客に切符をもたせたままハサミを入れていた」などと言われだすのです」p22

単純にわからないんだがこれは自動改札ができる前の一般的な切符での乗り降りでのことか。普通に”もたせたまま”で大丈夫じゃね?と違和感は感じない(想像)。

動労千葉ストライキに、とくに協会派の激しい批判の一方、

「日共の場合、なぜ動労千葉ストライキを非難しないのか不審に思ったのですが、その理由が判明しました。半年ほど後の当局の処分発表でわかったのですが、同じ十一月二十九日に、全動労が七名ほどで”全国統一ストライキ”をやっていたんです」p.93

これははじめて知った。この本では国労なんか激しく批判されているが同時にともにたたかうことをよびかけており、また実際行動でもあれこれあり、陶山健一が”反戦”をあとにつづく人がでるようにしていこうみたいなことを『反戦派労働運動』に書いていたのを思い出す。

現在の攻撃、マル生と違って当局による組合分裂攻撃、公然とは来ない。

「なぜか?こういう攻撃をうけると、労働組合の側はかえってガッチリとかたまって先鋭化するものです。これがマル生からえた当局側の教訓にほかなりません。この場合、組合を切り崩すことができても、その根っこは残る」だから今回「職場規律を中心に執拗に攻撃」特徴。一人ひとりに「誇りや人間性を徹底的にたたきつぶすやり方」p.170。で、分裂攻撃は動労革マルが。

職場秩序について。先に杉田本から引用したように”慣行”壊され国労は職場集会さえ厳しい状態に。このあたりは杉田本に詳しかったと思う。

「一月に郡山で国労の組合員三人が首にされた。六十人の職場で三十人が処分された。理由は管理者に暴言をはいたとされてますが、こんなことで処分されるなら勝浦あたりは口が荒いから、みんなやられますよ」p.214

「千葉の職場で「フザケルナ」とか「この野郎」と言っただけで処分されることになれば、いったい何人首切られるかわからないほどです。銚子、勝浦、館山などの組合員は、「何だっぺ」とかの”房州ことば”ですから、普段でも口の悪さでは引けをとりません。」「いついかなる時でも、乗務員詰所や、庁舎玄関前や、どこでも組合は公然と職場集会をやっている。青年部はヘルメットにタオルで覆面をして、旗竿を何本も林立させて天真爛漫に活躍している。われわれは拠点から最後まで排除されなかった」p.169。

労働組合とは。

労働組合は現象的には個人の欲望とか、わがままをおさえて全体の利益を追求するのがあり方の原則なんです。私的なことをすてて団結する、いわば小異をすて大同につくみたいにね。そうでなければものすごいエネルギーを発揮することはできない。こうしたなかで意識の変革が起こり階級的自覚が生まれるわけです。動労みたいに「手前だけ」を方針化すれば組合員どうしがあらそい、ささくれだった状況をひきおこし、団結がこわれていく。これでは組合は分裂し結局は、資本の利益が貫徹することになり、さいごに損するのは個々の組合員ということになりますね。」p.191。

 

メモ

〇小西誠の2冊あるマルクス主義軍事論。

一般に”極左冒険主義”と呼ばれる時期に関連した(幾多の誤りは前提として)記述で。

「当時の闘いは特高、右翼暴力団憲兵という反革命暴力の集中のなかで、街頭宣伝一つが、労働者のスト、農民の争議の一つ一つが武装自衛の闘いなしに貫徹できなかったのである。いわんや治安維持法の改悪は共産党員であることを理由に死刑、ないし無期懲役に処すとしており、このなかで、党を守るためには、この武装は不可避であった。重要なことは、この党と人民の不可避的な自衛武装の闘いを大衆闘争の武装的発展(とパルチザン闘争による革命軍建設)へと意識的積極的に高め蜂起の準備の戦略を堅持する観点からこれを軍隊内の闘いと結合するさせること、すなわち現代革命の軍事路線が求められていたのである」(『現代革命と軍隊 世界革命運動史の血の教訓』新泉社、1984年の76p)。

この本は学ぶこと多いが反帝・反スタ論とかその適用部分には違和感。この点は30年代情勢云々とか現状分析とからめて考えたい。

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◯党なき?時期とか大衆運動

大衆運動とか文化運動研究はいろいろされているんだろうな。時間あったら学びたい。大庭伸介『レフト』は京浜グループ事件や港南とかの紹介からその他労働者運動史、党と大衆運動の関係も深く考えさせる。

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 〇参考、小山弘健(1967)『増補版 日本マルクス主義史概説』芳賀書店より

この本は講座派・労農派系記述あたりで勉強になり、小山の統一戦線や戦線統一云々とこの時代認識は密接なのかなあとも思う(神山茂夫経由とかもちろんあると思うが)。

☆ブンド

「世界プロレタリア革命なるものは例えば黒田の場合のように、スターリン批判やハンガリー事件の衝撃による思考転換の結果提起されたのではなく、国際的・国内的な政治的危機の現実を打破するための運動の方向を模索する過程で、その方向を論理化するために提議されたにすぎないのである。そしてこのようなプラグマチックな問題提起の形は、その後共産同の歴史のなかに何度となくあらわれる」371p

黒田理論はおいておくが、ここはなるほどと。最近知人と話していて、その人の、歴史のなかにアイマイな、実は受動的な行動主義の"ブント的なもの"のイメージを"発見"(願望の投影?)するような見解に違和感をもった。それだけだが。

ハンガリーとか日共とか武井昭夫

「武井論文が、あくまでも事件の根因をハンガリー党の誤謬に求めていたのに対して、宮本はこれを転倒させ、外部陰謀説を展開したわけである。また武井が、教訓として日共の思想体質の是正を示唆したのに対して、宮本は、・・・・・・党の統一を大義名分にした討論へのワクどり、統制強化の教訓を、我田引水的に導き出したのである」p342

 

私もよく我田引水的に引用をしてしまうな。