mao1938’s diary

Twitterは@llw_ryudo(元mao1938)

Twitterから+メモ

<労働運動・社会運動・革命運動関係読書メモ>

☆伊藤晃『戦争と労働運動 戦前労働運動の歩み』(労働者学習センター、2005)

 「評議会の綱領が、労働条件の改善と生活の向上は労働者の組織と闘争によらねばならず、また組合運動は労働者階級解放を目的とすべきだ、と述べたのは、右派労働運動を意識したものですが、さらに、この目的に沿って労働者を絶えず教育・訓練し、組合機関に一般組合員の意志を正確に反映させ、彼らを常に組合の行動に参加させねばならない、という原則を主張したのは、むしろ日本の運動の伝統への批判と変革意志を示しているのです。」p.107。

20年代ストライキの中から組合発生ー”ストライキをやるための組合”という固定観念(組織の持続性、日常的大衆性欠如...)の問題/企業側は力と力のぶつかり合い+権力の援護により「新しい労務管理」(組合否定からの企業別従業員組織、労使協議機関をつくることで、労働者集団を「わが社の従業員」へ分断、労務部門新設政策へ向かうわけであるが、そこで運動側の限界をも含んでストライキを通じて「運動」が日常的労資対立の場からしめだされていく・・・過程/以上と関連してサンディカリズムの発生など興味深い。

☆前田裕晤著・江藤正修編『前田裕晤が語る 大阪中電と左翼労働運動の軌跡』(同時代社、2004)

 ☆『江藤正修遺稿集 社会的労働運動の模索 明日を見つめた格闘の記録』(編集委員会、2017)

前述した前田裕晤の本を読んでいても思ったが、関西独自の運動は知らないことばかりだ。先日、かの有名な田中機械(ビール工房「地底旅行」)に行く機会があったのだが、国内的には80年代労戦統一に抗する拠点的位置、国際的にはポーランド「連帯」-自主管理社会主義への注目という国際的文脈で大事だ、としたり顔で同行者などに説明するネタになった。またかなり前に酒井隆史が大阪の文化を論じる文脈で田中機械の機関紙あたりから引用していた気がするので(たしか『通天閣』だろうか?)確かめたいと思う。ビールに関してはよくわからないが2種類まぜたらとても美味しかった。

それから国鉄闘争に関する記述で、総評左派ー国労の戦闘性の基盤として、「復興」を担ってきたこと、戦後を・家族を支えてきたことの誇りとしての「国労魂」に言及しているところが印象的だった(そのうえで、そうした戦闘性ゆえの困難性もあった、と)。

☆増山太助『戦後期 左翼人士群像』(柘植書房新社、2000)

 ☆小西誠『反戦自衛官―権力をゆるがす青年空曹の造反 (増補版)』(社会批評社、2018)

 「事件」後、”上からの圧力”と”下からの抵抗”渦中の下士官こそが上記⇧ばねとなるだろうと述べている。たしか80年代後半の決起は⇓中堅の人たちが重要な役割だった。

 ☆桑折勇一『ノーサイド成田闘争―最後になった社会党オルグ』(崙書房出版、2013)

たしか闘争初期会議にて、社会党は砂川とか妙義山でのあれこれもあり実力闘争、話し合い絶対拒否、対して共産党は独立・民主主義・平和・生活向上云々といった諸要求スローガンの一環にしてしまったうえで”軍事基地反対・ベトナム加担するな”である。後の新左翼(の一部)も”軍事空港”論はあるがまた別の視角だろう。

ちなみに「ふるさと文庫」(別だが筑波書林の「ふるさと文庫」も面白いのがある)の崙書房出版HPによれば2019年7月で業務終了とのこと。ふるさと文庫の三里塚関連で私が読んだのには、他に原口和久『成田あの一年』(2002)、大和田武士・鹿野幹男『「ナリタ」の物語 - 1978年開港から』(2010)がある。前者では地区労は反対しているのだが成田市職労は開港促進決議(1975)、パイプライン関係での住民運動や国と千葉県の”内ゲバ”エピソードなどは戦後史のいろんな問題を考えさせられた。後者では闘争中、指名手配中にどっかの選挙の応援演説した、という活動家が登場する。

☆伊藤晃・布施宇一・増田明生・田中康宏『戦後労働運動と反合・運転保安闘争 国鉄闘争全国運動を広げよう』(労働者学習センター、2010)と社青同『体制的合理化と国鉄闘争』(社青同中央委、1987)

動労千葉パンフでは、伝統的反合闘争との違いとして①結果ではなく過程へ②賃金と引き換えにも反対③妥協点設定しおさえこみに反対④労使一体(国鉄一家!)批判、により、労資の具体的対立を通したものとして(伊藤晃)把握するのが大事だなあと。

社青同学習シリーズ本、2章「国鉄労働運動と国鉄分割・民営化」では戦後日本労働運動の歩み=合理化攻撃との闘いの歴史として、とくに60年代以降の国労歩みはわかりやすかった。合理化に対して”絶対反対”と”要求対置”で矛盾が発生し云々など興味深い。

 ☆伊藤晃『天皇制と社会主義』(勁草書房、1988)

 日本資本主義”固有の型”への視点では野呂と高橋亀吉は共通点をもち(!)、そのうえで「日常の経済生活をとおしてナショナリズムを人民に浸透させる道を追求した」p.326高橋の方が「能動的」である(”国家機能の拡大”、それには”天皇制の機能更新”からむ)。グラムシ(あるいはグラムシ的)がよく参照される、また天皇制と社会主義、というタイトルどおり”と”にこだわっている。

「〈物語〉シリーズ」感想

〈物語〉シリーズ

 セカンドシーズンまでみた(わりと再視聴ふくむ)。いろんなものの切り貼り感はパロディやパスティ―シュというのかあれは。キャラクターやら街の風景の殺風景さ(という表現でいいのか?)や戦場ヶ原家の壁にベタベタある新聞、言葉遊びはもちろん、いろんなタッチ(赤塚、杉浦、楳図・・・)になったり(とくに八九寺真宵阿良々木暦のかけあいとともに)、また赤瀬川ニセ一万円札など楽しめた。そのうえで素直に感動する、焦点があてられるヒロインが変わるたびにいちいち共感する青春ものだなあと。

 同じく”怪異”(〈物語〉シリーズでの使い方と同じになるかはわからないが)ものでいえば、わりと道徳臭い(悪い意味ではない)点や距離感とるように言い含められ学んでいく点で『もっけ』ぽくないか。ただし、うまく言えないが『もっけ』で大きい位置占めるよう村や学校、家族という「関係」と〈物語〉シリーズのあれこれの「関係」はかなり違う。

※そういえば諸星大二郎の「栞と紙魚子」シリーズの栞なんかは<怪異>にこりずにどん欲に進んで繰り返すなあと思い出した(「ドラえもん」ののび太ぽい?)。どの話か忘れたけど”行ってみましょうよ”的な感じでいかにもな方向進んでいくシーンがあった。

 あと切り貼り感あるけど感動したと書いたが、最初の戦場ヶ原さんが”降ってくる”阿良々木暦との出会いシーンから私は”『化物語』は『天空の城ラピュタ』批判説”を根拠がないけど主張している。パズーの話し方にイラついたからかもしれない。

 

以下いくつか。

阿良々木火憐

 『偽物語』の「かれんビー」から「つきひフェニックス」まで貫いて本当にかっこよい(火憐OP「marshmallow justice」いうところの、目が覚めたら夢の続きがまってる、また頭で考えるよりも先に行ってしまうようなやつである)。

 教訓→とりあえず夢の続きやら妄想も大事。説教とか精神分析みたいなものはときどきでよい。こっちもときどき必要。

千石撫子

 セカンドシーズンのモノローグで(たしか「なでこメドゥーサ」の最初か)、わざわざ好きなお兄ちゃん→暦お兄ちゃん、好きな人→阿良々木暦と分けていた。分けて考えるものを分けれなかったのか(てきとう。とするならばそれとは逆に複雑な感情を分けていく、<好き>という言葉の意味を丁寧に考えていくのが『カードキャプターさくら』の木之本桜だ(まだ「クリアカード編にちゃんと目を通せていない)。ちなみにclampの他作品、例えば『20面相にお願い!』だと<好き>の意味、分けていくよりもまず伝えることが大事、の比重が大きく感じた。これは『ふたりはプリキュア』みたときにも思った。

 千石撫子についてはあまり関心がわかなかったが、今日散歩中みかけたJCP赤旗宣伝ポスターに千石撫子の10年後みたいな人がいた。→「しんぶん赤旗」ポスター(女性)

斧乃木余接早見沙織)のOP曲「オレンジミント

www.youtube.com

 聴いていて『機動警察パトレイバー』の内海と黒崎くんではと思ったし、もはやそれ以外に思えない。一時こればかり聴いていた。

 

メモ・最近の『前進』を読んで

 3106号(2020.2.10)の革共同中央学生組織委員会「学生戦線の2020年アピール 青年・学生の運動を創造しよう」http://www.zenshin.org/zh/f-kiji/2020/02/f31060301.html は最近の『前進』掲載文章のなかでも示唆されること多かった。

 メモ

①「この社会が変わってほしいと願う若者は圧倒的に存在する」こと踏まえた上で、「職場・学園といった拠点における攻防も街頭におけるデモンストレーションも、主体は同一人物になるのであり、本来は分裂するものではない。街頭と拠点攻防を相互に促進しあうものとして構えなおし、全面的な若者の運動を創造しよう。」は重要だろう。
②"層としての学生"が成立しにくい時代状況で、若者(学生・青年労働者)の運動も「特定の領域」で大衆的形成をなしえていても過度な一般化はできない。小ボス支配を生むだけである(もちろん裏返しに「特定の領域」の寄せ集めをするだけでも不可能である)。今後の課題ではないか。
③上記アピールにて言及される"主体の分裂"とその克服提議は②の課題を示唆するものではないか。この"主体の分裂"問題は60-70年代階級闘争と深く共鳴した陶山健一『反戦派労働運動』でも述べられているものであり同じものとして扱うのは全くの誤りだが相互関係も考えていきたい。

メモ(Twitterから)

反戦派労働運動~戦後日本社民~戦後労働運動

 たしか『反戦派労働運動』(陶山)では、反戦派=日本型社民の左傾化と"革命的左翼"の労働運動定着化の複合体と規定していた。「われわれの反戦は、いつでも独自で決定的な闘いに出る力をつくり、またそれを貫徹するが、同時にそれについてこられない「反戦」をもそれなりの闘いに立たせ、全体として行動する場をつくるために積極的に取り組む」(前進社版・上、p.167)、「われわれは、どこかに戦闘的労働運動があると考えそれに期待するのでなく、弱ければ弱いなりに、同盟や御用組合ならそれなりに、自分のいる職場の仲間を立ち上がらせ半歩でも前進させることが、総体として日本労働運動を支えているのだということを自覚しなければならない」(前進社版・下、p.110)など私は単純にいいこと言うなあくらいに思っていたが、社民論媒介など歴史的文脈に注意したい(そこに学ぶべきこと多くある)。 

あるいは最近出た『「全臨労」走り続けた五〇年 全臨時労働者組合結成五〇周年記念誌』(2019)に書かれていた「個人加盟制の合同労組は誓約者集団と言える。しかし、そういう形式、組織形態をもって企業内意識を脱することができるのかと言えば必ずしもそうではない。個人加盟制の統一労組という組織形態を活かす労働組合の路線・方針が問われることになる。」の問題意識などとの関係学びたい。

それから全臨労本でも言及されている工場委については革共同再建協の『展望』21号(2018)の、八代秀一「1917年初めのドイツ労働者運動-その背景としての軍事独裁」が単純に勉強になった。

 ↑榎原パンフ(こちら(六)など)、勉強にはなったのだが、「帝国主義と対決する労働運動」への批判についてはいまいち。同パンフでも参照される「分裂の時代」(清水慎三)ふまえた党なり大衆組織の理論を考えるとややカテゴリー主義的批判ではないかと思う(ちなみに一部をのぞいて新左翼各派の運動方針が重なってきていることも確認されている)。著者のパンフ執筆時については『追想にあらず』に。

これは 『インパクト』11号(1981)の特集「ストライキは甦るか」によせられた仙波輝之(当時・社会党中央本部国民政治年鑑編集部)の「戦後ストライキ年表・資料」末尾、必読参考文献一覧から。36冊あげられている。

 『前進』3106号(2020.2.10)巻頭論文によれば「去る1月14日、動労千葉顧問弁護団や星野再審弁護団長を務め、14年東京都知事選と衆院選、16年参院選に出馬した鈴木達夫弁護士が肺がんのため79歳で亡くなった。1964年にNHKに入り、日放労長崎分会委員長、全国反戦青年委員会世話人として70年安保・沖縄闘争の先頭に立った鈴木氏は、「革命の現実性は革命家の執念に宿る」という革共同の本多延嘉元書記長の言葉を非常に好み、生涯をかけてそれを貫いた不屈の革命家だった。」。また同号「団結ひろば 投稿コーナー」に「日放労時代の鈴木弁護団長」投稿されている。

 前述『前進』同号の革共同中央学生組織委員会「学生戦線の2020年アピール 青年・学生の運動を創造しよう」について。「われわれは職場やキャンパスで孤立しがちの左派層にもっと大胆に呼びかけ、その結合・決起を助ける必要がある。その闘いの発展は不可避的に階級支配全体を揺るがすものになるだろう。職場・学園といった拠点における攻防も街頭におけるデモンストレーションも、主体は同一人物になるのであり、本来は分裂するものではない。街頭と拠点攻防を相互に促進しあうものとして構えなおし、全面的な若者の運動を創造しよう。」、反戦派労働運動を想起させる部分だ。

 ☆政党と社会

 ↑共産党についてなんか言ってた。「現在」の、重要。

☆戦後革命期

 ☆その他

 「山谷(やま)ーやられたらやりかえせ」はみたい。

 

読書メモ(Twitterなどから)

国鉄革マル

 これは『中原一著作集』や対革マル戦史http://zengakuren.info/kakumaru-top.html

 ☆『スターリン主義と農業の強制集団化』

 ☆陶山健一(岸本健一)

 ☆『臨調国鉄攻撃と労働者階級』

 ☆田川和夫

こちらは『日本革命運動史・戦前篇Ⅰ』(青年社、1970年)。主に『最前線』掲載論文収録。山川均を典型的対象(自伝などに表現される”無責任”ともいえる部分も参照される)にしての党建設の諸問題、主体的責任を厳しく問うている。岸本健一『日本型社会民主主義』での山川への”ルンペン”なる表現とも関係しているか。ロシア革命以後の20年代の党建設諸問題とスターリニズムつよく関連(田川はまた第二次大戦後の「戦後革命期」重視)。

 こちらは『戦後日本革命運動史』(現代思潮社、1970年)。『前進』連載の「戦後革命運動の焦点」単行本化(出版時も連載中)。日本共産党在日朝鮮人運動の部分(十一章)にて一般に30年代”極左日和見主義”とされる時期について、「だが問題は、労働者大衆の大衆的ストライキ闘争の拡大のなかで、労働者大衆自身の帝国主義にたいする武装をどのように準備するかの革命党の指導が媒介にされて論議されない限り、戦術をめぐる論争は往々にして右翼的立場を合理化するものに堕してしまうものだ」p.295は注目。小西誠の1980年代軍事理論本https://mao1938.hatenablog.jp/entry/2019/06/01/190822での評価ともつながるか。関連してロゾフスキーやらの争議戦術への軍事理論の”適用”問題については小山弘健が文献とともにその日本での過程紹介(『戦前日本マルクス主義と軍事科学』ほか)、中村丈夫が短いレジュメで読みにくかったが鋭い批判的言及(たしか『クラウゼヴィッツの洞察』)していた。

 ☆脇田憲一『朝鮮戦争と吹田・枚方事件』の伊藤晃解説より。

この本では工作隊の影響で村に労組ができたりあれこれの部分印象的。

 

メモ・日本帝国主義と在日朝鮮人運動

☆田川和夫『戦後日本革命運動史Ⅰ』(現代思潮社、1970年)より

〇「敗戦と同時に危機に瀕した日本帝国主義にたいする最初の大衆的反撃」

「四五年十月七日、北海道の夕張と常磐の両炭鉱で、朝鮮人労働者がストライキにたち上がった。そしてさらに、九州の三池炭鉱と栃木県の足尾銅山とでは中国人捕虜が決起した。それは、敗戦と同時に危機に瀕した日本帝国主義にたいする最初の大衆的反撃であり、支配階級の眼には、まさしく「暴動」とさえ映った。」p.24

山の労組運動史などでも労組組織化の端緒として言及されるようであり今後目を通していきたい。

〇「戦後革命期」と在日朝鮮人運動

2・1ストー3月闘争(独占へのバラマキによる日本資本主義の再建への道、官公労働者には石炭価格から割り出したベース賃金=搾取強化を押し付け民間へも云々、そうしたなか、それに対決する志向もつ全逓の賃金闘争からの拡大)-日経連発足、経営権確立反動ー政令二〇一号(人民は対抗するも「全国的な統一実力行使による反撃」p.269には出れず・・・)というなかで・・・在日朝鮮人への騒乱罪攻撃もあった。

朝鮮人学校の再編は、国内法に朝鮮人をしたがわせ、独自の民族教育を抑圧するための最大の攻撃であり、帝国主義が戦後革命からだしゅつし、帝国主義の延命をはかるために、植民地支配体制の再編を意図することとらうちだされてきたものなのであった。それ故、朝鮮人学校問題をめぐる激突は、日本革命自身にとっても決定的な分水嶺をなすものだったと同時に、帝国主義のアジア支配のための最重点対策をなし、一九五〇年の朝鮮戦争の前提条件もまた構築するものだったといえよう。」p.281

「日本革命運動と在日朝鮮人運動の本質的関係が、そしてまた日本共産党のなかで朝鮮人運動がどのように位置づけられていたかのかがあらためて問われるべきであろう」p.288

「第十一章 在日朝鮮人運動と騒乱罪」p.278~306に詳しい。1946年の「長崎警察署襲撃事件」部分印象に残った。勉強になる。あとさらぎ徳二インタビュー「革命に生きる」

http://0a2b3c.sakura.ne.jp/saragi-a.pdf

での九州地方での闘い言及を思い出した。今後は梶村秀樹をもっと読んでいきたい。

 

ガルパンみた(TV版)

普通に面白かった。感想いくつか。

(1)角谷杏について

戦車道を強引に進めるのには廃校阻止という目的があったわけだが、"愛校心"一般ではなく、もともとの生徒会仲良し組の既得権益維持が基本的モチベーションだと思った(西住みほに言えなかったシーンの後、思い出回想とか)。前半をみているときはもっと深刻な事情(角谷の個人的、例えば親との関係がからんで)があるのではないか、と緊張してしまったがよい意味で裏切られた。この裏切られた予想は、まどマギの佐倉杏子を連想させるというのもあるかもしれない。

何が言いたいかというと個人的には"強気な性格"女子キャラの、その性格の"原因"に親子関係とかをぶち込むのは苦手(もちろん作品のなかでの位置はそれぞれであるが)なのでここは良かった。この点は、『かみちゅ』の三枝祀で後半にそれが若干でたときの違和感から時々思うことがある。

だから冷泉麻子は新鮮に感じた。

(2)ミリタリーカルチャーや共産趣味

ミリタリーカルチャー(大雑把)にはあまり関心が湧かなかったのだが少し興味を抱いた。そのため作中の小ネタを楽しむということはできなかった(そもそも小ネタがあるともあまり思わなかったレベル)。今後は幼女戦記とか艦これあたりにも目を通してみたい。

あと、ガルパンをみた知人がプラウダ高校のところあたりのノリで"共産趣味"っぽいこと言っていたので、この作品が原因か結果かはともかく、共産趣味文化もわりとメジャーなのかもしれないと思った。日常会話にソ連風(スターリンや「社会主義」官僚風?)用語まぜる、あるいはその他"雰囲気"を楽しむというのがどの程度広まっているかはわからんが、まああってもおかしくないだろうし、それ自体は「危険」ではない。

(3)その他

それぞれのキャラクターが戦車道一辺倒になるのではなく、またうまく表現できないが抽象的な人間的成長やら恋愛に着地せず、違う道も真剣に取り組み成長していくのは単純によいものだな、と感じた。私は秋山ゆかりが好き。

それから知人が、西住みほ=毛沢東説を出していたがこれは間違い。退却や攻勢の弁証法を指していたのだと思うが、大洗女学園以外チームもやってたのではないか(可能性としても)。またそのような、抽象的図式を一面的に取り出して過度に強調するのは俗流的な、非-弁証法的な考えではないだろうか?三浦つとむの今村太平批判を想起すべきだ(たしか『芸術とはどういうものか』)。